琉球王国において王府から特別の扱いを受けた琉球八社のひとつ
つーむさんからのご投稿
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波上宮・沖宮・識名宮・普天間宮・末吉宮・安里八幡宮・天久宮・金武宮を称して八社という。
いつごろから八社と呼ぶようになったかは明らかではない。
はっきりいえることは、八社信仰が真言密教の影響を強く受けていることである。
『八社縁起由来記』によると、七社はいずれも熊野権現の勧請。
祭神は伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊の三神を祀っている。
もともとは、那覇港内にあったが1908年に、築港工事の為、安里八幡宮境内へ移動し遷座。
「琉球国由来記」の沖山縁起によると、海中より光輝ある枯木を拾得、熊野権現の霊木として、地を卜し神社及び寺を創建、その霊木を奉祀したとある 。
創建年は不明で、尚貞王【しょうていおう】代の1681年に板葺から瓦葺へ改めたとある 。
この社殿は琉球神社建築の典型的なもので、室町中期頃の特徴を備えているということで1938年7月国宝に指定された。
戦災で焼失した為、60年に現在地に遷した。
(つーむさん)
No.114
2002.1.1 UP
しもじさん
沖縄(沖縄本島)には、王政時代(具体的な年代は分かりません)に神仏を併置した「琉球八社八寺」があったそうです。
1670年代に護国寺の住持頼昌法印と羽地朝秀が計画を進め、成立させたといわれていますが、詳しくは分かりません。
八社のうち七社が「熊野権現」を勧請し、伊弊冊命・速玉男命・事解男命の三神を祀っているそうです。
末吉宮・波上宮(ナミノウエグウ)・沖宮(オキノグウ)・天久(アメク)宮・識名(シキナ)宮・普天間宮・金武(キン)宮の七社です。
私自身参拝の経験があるのは、「沖宮」です。
「沖宮」の読み方ですが、「おきのぐう」が正しいと思いますが、私たちは、「おきのみや」といってます。
那覇市内の国際道りという所から、車で15~20分ぐらいです。
この写真は「沖宮」の鳥居から、「拝殿」をうつしました。(つーむさんの写真は、鳥居をくぐって階段を昇った場所からですね。)
沖宮は、昔「沖宮三所権現」(オキヤマサンショゴンゲン)と称されていたそうです。
創建は15世紀中葉で、1713年の琉球王府発刊の「琉球国由来記」の一部に、
「大昔、那覇津(那覇港)に光気(海中に光輝くもの)あり。
風雨霜にも照り輝やく。国王これを首里城より御覧ありて、奇瑞、奇妙なりと漁夫に命じて漁網ですくい取る、これ枯木なり。
尋常ならざる木で、蓬莱の霊木と知る。次の夜海面を見るに光輝なし。この枯木霊験なりと、地を卜して、(占っての意味と思います)霊社を建てり。」
以降、国王はじめ、一般の人々にも信仰されるようになったそうです。
とくに、航海安全の祈願をねがうことが多かったそうです。
明治41年、那覇築港工事のため別の場所(安里八幡宮の境内)に遷座されたのですが、大戦で焼失してしまったそうです。
今現在の沖宮は、奥武山(オウノヤマ)に昭和32年に再建されたものです。
沖宮のほかに、運動公園や、体育館などもあり、とても広い敷地で地元の人たちに利用されています。
この写真は公園の中の沖宮への案内看板です。看板の後ろは、ガジュマルの木が生い茂り、御嶽(ウタキ)があります。
私は2度程、沖宮のお祭りを見せていただいたことがあるのですが、宮司(今の宮司さんは、女性です)さんはじめ、ノロやツカサといった、沖縄独特の巫女さん(?)たち(ほとんど女性です)がいらっしゃり、カンプー(昔の沖縄の女性の髪形)を結って、着物姿で祈りをされます。
お祈りも一箇所ではなく、奥武山にある神社や御嶽をまわります。
内地(沖縄では、九州から北海道まで「ナイチ」、日本人のことを「ナイチャー」といいます)とちがうのは、お線香が束になり板状になったものをつかっています。
あと、お祭りの最後には、三線(サンシン=沖縄の三味線)が鳴り響くなか、カチャーシー(沖縄の踊りです)をみんなで踊ります。
最初はおごそかな雰囲気で神事がすすめられるのですが、カチャーシーが始まるとにぎやかな笑い声に包まれ、神様も、今生きている人間もみんな一つになって、この時間を共に過ごしているんだなぁと感じました。
以前にも書きましたが、沖宮は奥武山(オウノヤマ)という場所にあります。
奥武山は3つの山から成り、「黄金森」(クガニムイ)と呼ばれる南東の場所に「沖宮」が鎮座し、「日護森」(ヒゴヌムイ)と呼ばれる中の山があり、2柱の神が鎮座され、西の「銀森」(ナムジャムイ)に「世持神社」(ヨモチジンジャ)が鎮座しています。
この写真は私の好きな「世持神社」です。
沖宮は確かに奥武山の中心というか代表的な神社ですが、その分、参拝にいらっしゃる人々のご利益を望む気で一杯という感じがしました。
世持神社の方がひっそりした森の中にあり、近くにいくと神々しい空気で清められる感じと、子供の頃家の近くの神社で遊んでいた頃の懐かしい匂いがしました。(若い巫女さんが一人、神様のお世話をされていました。)
今日行ってみて初めて分かったのですが、この奥武山には沖宮はじめたくさんの神社と、御嶽、お墓があちこちにあり、まさに霊峰、神地なんですね。
(しもじさん)
2002.2.10 更新
2002.1.1 UP
2002.2.10 更新
2020.2.1 更新