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熊野神社(土生神社末社):大阪府岸和田市土生町1114番地

神奈備さん&土生神社宮司阪井健二さんからご投稿いただきました。ありがとうございます。

熊野神社になりそこなった神社

神奈備さんからのご投稿

土生神社鳥居

祭神

菅原道眞
 (配祀)武甕槌神・天兒屋根命・比ME大神(MEは「口」偏に「羊」)・經津主命
 (合祀)品陀別命

例祭

10月10日 例大祭

祭神は菅原道眞。ところが由緒書きを見ますと、

 堀河天皇の寛治四年正月(約九百年前)、白河上皇熊野御幸の帰途、隣地の別野村の田中に白蓮の咲いているのを御覧になって、同所に熊野神社を祀ろうとして暫く当所に蹕を駐め給うていた際に、本地人民が今の有真香の土生滝の意賀美神社を産土神と仰いでいて、其の遠くへだたっているのを憂いて、衆議の上源俊頼卿に依って鎮主の神を祀ろうとして願い出たところ、聴許あらせられ天満天神を祀るべしとの御意を下し給うた。

 依って里人は大いに喜び俊頼卿に従って上洛し其の旨を北野天満宮に伝え、其の分霊と道真公真筆の法華経とを受け帰り、同年八月二十一日、上皇御駐蹕の祉に社殿成って祀ったのが、即ち当社の起源であると伝える。
武甕槌命、経津主神、天児屋根命、比ME大神はもと境内末社に春日神社として祀られてあったものである。
 国内神名帖には神位を従五位と記している。

 明治五年村社に列し、同三十五年十月八日、字樫の村社八幡神社(品陀別命)を合祀し、同四十一年一月、神饌幣帛料供進社に指定され、同年十一月十一日、字山下の山下八幡社を合祀した。

 この合祀した山下八幡社は、岡部美濃守宣勝の当社隠居所に引移って後、土用中虫干の具足、座敷に飾ってあったところ、首に輪のある山鳩(俗に八幡鳩ともいうもの)二羽来て宵の八幡座に留まったので、武運の吉瑞であるとして喜び、程なく鳩の飛び立って留まった所を見届けさせ、其の地に社殿を建て八幡宮を勧請したのが即ち此の八幡社であって、社領三町二反一畝十三歩を寄せ、八幡山感応寺を宮寺となし、これに二十石を寄せて、例年八月十五日放生令を執行して来たのであるが、明治五年神仏の分離によって寺は廃絶し、社は村社に列して来たのものである。明治四十一年十一月十一日に当神社に合祀になった。

とありました。熊野神社になりそこなった神社のお話で、白河上皇より堀河天皇の方が神祇については発言権があったのですね。

熊野神社になりそこなった神社ではありますが、摂社に熊野神社があるそうです。しかし、どれがそうだか判りませんでした。

土生神社拝殿

こぼれ日が清掃された石畳に映えてやはり雰囲気は熊野と云っていい神社です。
拝殿前の牛像が天満神であることを主張しています。

(神奈備さん)

No.176

土生神社宮司阪井健二さんからのご投稿

はじめまして。土生神社宮司の阪井健二と申します。
神奈備さんから当社のことを投稿して戴いておりましたが、当社末社の熊野神社は本殿の真横にあります。

土生神社 熊野社

当社が熊野神社になりそこなった神社かどうかはわかりませんが、当社の創建は伝承の寛治4年よりもさかのぼることが最近言われています。

伝承に関連する白河法皇が勸請したと言う熊野神社(岸和田市別所町)は岸和田天神宮に明治期合祀されましたが、現在でも旧熊野神社氏子から総代を必ず一人出す決まりになっているそうです。

土生神社公式HP
土生神社宮司のブログ

(土生神社宮司阪井健二さん)

(てつによる追記)
土生神社の宮司さまからメールいただきました。ありがとうございます。
宮司さまからの直々のメール、とても嬉しく思います。

本殿の横にある石碑のような熊野神社。
この富士山形の石を通して白河上皇が熊野を遙拝したと伝えられているそうです。
遥拝の石の高さは、本体は1m10cmぐらい、台座を入れると1m50cmぐらいだそうです。
参考ページ

2003.4.25 UP
2004.1.4 更新
2009.4.24 更新
2020.1.27 更新

参考文献



大阪府岸和田市土生町

読み方:おおさかふ きしわだし はぶちょう

郵便番号:〒596-0825

岸和田市HP

岸和田市 - Wikipedia
岸和田市(きしわだし、英語表記:Kishiwada-city)は、大阪府泉南地域に位置する市。
現在はだんじり祭りで有名だが、江戸時代には岸和田藩の城下町として栄えた。同市は永住外国人と、国内在住期間が3年を越え満18歳以上で3ヵ月以上市内に住む「定住外国人」にも住民投票の投票権(参政権ではない)を認めている。 2002年(平成14)4月1日以降、特例市に指定されている。大阪都心部からの交通アクセスも良く、大阪のベッドタウンとして発展している。 岸和田市は、古い歴史を持つだんじりのまちとして全国的にも知名度が高い。
市のキャッチフレーズは、『人がいき 地域が輝くまち岸和田』。