聖徳太子の創建と伝えられる妙法寺の鎮守社
祭神:伊弉册尊・速玉男命・事解男命
大己貴尊・素盞男命・奇稲田姫命
神域は、住宅地の中の狭い道路にとり囲まれた場所にあり、それほど広い境内ではないものの、いくつもの摂社・境内社を持つたいへん整った神社です。
鳥居、本殿ともに西向き。
同名の熊野大神宮という神社が近くにありますが、もと八劔(ヤツルギ)神社といったものを、明治時代にこの神社の分社として合祀したようです。
由緒書きによると、創立年代は1400年以上前になり詳らかではないとのことですが、「用明天皇2年、厩戸皇子が四天王寺を浪速玉造の岸に創立せられたとき、拾弐坊の伽藍を建立せられ、当社社務を司らしめられました」とあり、この神社の創建に聖徳太子が関わっているという伝承があったようです。
もとは熊野権現と称していましたが、明治8年権現号を廃し、熊野大神宮と改称した旨が記されています。
由緒書きや東成区史には紀伊熊野との関わりは明記されてはおらず、また社務所におられた方も(たぶん神職さん)、紀伊や出雲との関わりは意識してないようで、「勧請というわけではなく、同じ名の神を氏神として祭っているだけ」と言っていました。
熊野権現を称していた以上、紀伊熊野との関わりはあったのでしょうから、この台詞には少しひょうしぬけでした。
(ZOUさん)
No.53
(てつによる追記)
隣接してある妙法寺の鎮守社。妙法寺は聖徳太子の創建と伝えられます。
2001.4.9 UP
2019.11.3 更新