疫病退散を祈願すると現れた12羽の鴉
村社にして相知村相知宿の中央高地に在り。眺望佳なり。
享保4(1719)年波多壹岐守勧請し、伊弉諾尊伊弉冉尊速玉男命を祀る。『相知村郷土誌』(大正12年)
相知町の中心部は、幾つかの川が天山西麓で合流して形成した、狭隘な盆地です。
山がちな地形はしかし、九州有数の落差を持つ絶景「見返りの滝」という恵みももたらしました。
ここに熊野神社を勧請した波多壱岐守は、これを那智の滝に見立てたのかも知れません。
その盆地南方から舌状に張り出した高台に、熊野神社は鎮座しています。
なお、この社を勧請した波多氏とは、平安時代から500年にわたって、佐賀長崎両県北部一帯に蟠踞した松浦党の一派で、
相知町岸岳城に拠って当地を支配した一族です。
参道を踏み切りが横切っています。この踏切は単線のJR唐津線です。
1時間に1本ほど、2両編成のディーゼルカーが走っています。
130段ほどの石段がそそり立っています。
石段の上には、思いがけず広い境内が広がっていました。
社殿のたたずまいも、なかなか堂々としたものです。
背後には鬱蒼とした森が迫っています。
(狛太郎さん)
No.727
2007.7.26 UP
2020.10.19 更新
参考文献
- 『相知村郷土誌』