疫病退散を祈願すると現れた12羽の鴉
唐津城を訪れた際、地図上にて熊野原神社の名を見つけ、参拝させて頂きました。
鎮座する地は、唐津城の城下町で歴史を感じる神社仏閣が密集するエリアでした。
社務所には、福岡県太宰府市・九州国立博物館にて開催される大神社展のポスター(熊野速玉大社・熊野夫須美大神座像バージョン)が掲示されていました。 開催期間 平成26年(2014年) 1月15日~3月9日
御拝殿
御本殿
粟嶋宮
熊野原神社由緒(案内板より)
御祭神
- 「家津御子大神」(けつみこのおおかみ)
「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)とも呼ばれる疫病消除の神様。八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したことでも有名な神様です。
- 「熊野速玉大神」(くまのはやたまのおおかみ)
「伊弉諾尊」(いざなぎのみこと)とも呼ばれる国生みの神様。妻の伊弉冉尊と共に木州・四国・九州等の島々をもうけた神様です。
- 「熊野夫須美大神」(くまのふすみのかみ)
「伊弉冉尊」(いざなみのみこと)とも呼ばれる国生みの神様。夫の伊弉諾尊と共に、石・木・海・水・風・山・野・火など、森羅万象の神をもうけた神様です。
- 「大山祇神」(おおやまつみのかみ)
日本全国の山を管理する神様。また、武神として、酒神としても篤く信仰されている神様でもあります。
- 「応神天皇」(おうじんてんのう)
「八幡神」とも呼ばれる武神。また、縁結びや交通安全の神としても全国の八幡神社に祀られている神様です。
- 「猿田彦命」(さるたひこのみこと)
天孫降臨の際に高天原から葦原中国までの先導を行った神様。その働きにより、土地開発、開業、家業繁栄、交通安全の神様として祀られています。
- 「神田五郎宗次(こうだごろうむねつぐ)霊」
天平勝宝年間(奈良時代)に唐津一帯を治めていた豪族。特に神田地区開拓に尽力した人物。御由緒
往古、この地は松原であったと傳ふ。
古傳に曰く、神功皇后三韓渡航に際し、此の松原の上に白光現はれ海路を照らし、舟路の方向を示ししかば、諸軍遙かに之を拝し、「難有不知火之擁護哉」(有難き不知火の擁護かな)と称えて祠を建て、不知火(しらぬい)神社と祝う。
また、天武天皇の白鳳五年(西暦六七七年)郷内に疫病(えきれい)流行り死すもの少なからず。
郷人之を嘆き、不知火神社にて疫病退散の祈願をすれば、水無月の初旬東天より、「胸白の霊鳥」十二羽飛び来たりて、境内の古木に羽を並べ夜に霊光を放ちててより疫病次第に治まりぬ。
郷人等畏こみて「十二羽の鴉は何ぞ」と問えば「熊野に坐す大神の神霊也」との宣示有り、是より「熊野原神社」と称ふ。是実に六月十五日なり。
爾来、産土大神として郷人の崇敬の念篤く、祭典祭礼怠ることなく、例大祭の祇園祭等社頭段賑なり。
明治六年村社に列せらる。御祭礼
祈年祭 二月二十四日
祇園祭 七月十五日
茅輪くぐり神事 八月三日
新嘗祭 十一月二十四日
御神木
御神木は中が空洞になり、かなり傷んだ印象でしたが、唐津街道側から拝見すると、株元近くに新しい芽が育っていました。
親木のように大きく成長してもらいたいと思います。
(瀬音さん)
No.1785
2013.12.29 UP
2020.10.19 更新