旧岩屋川内村の村社であった熊野神社
嬉野温泉、轟の滝の近くに祀られている熊野神社に参拝させて頂きました。
この地を訪れて感じたのは、那智の大門坂バス停辺りの雰囲気に似ているということ。
境内の様子 土俵
昭和十二年 熊野神社再興千百年式年祭祈念碑
境内の祠
熊野神社由緒沿革 (現地案内板より)
所在地及び社名
佐賀県藤津郡東嬉野村岩屋川内
現在:佐賀県嬉野市嬉野町大字岩屋川内村社 熊野神社
末社 正一位 稲荷大明神
御祭神
伊弉諾大神 いざなぎのおおかみ
伊弉冉大神 いざなみのおおかみ
事解之男神 ことさかのおかみ
菊理媛命 きくりひめのみこと
由来
大権現が天竺国より西大(さいだい)(岩屋川内藤川祭代)にお降りになられ、「これ吾が有縁の地」と暫くご滞在された処といわれ、今もこの地を祭代(さいだい)と呼んでお祭りしている。
平安時代、日本の諸神も仏の化身だとする神仏混合説で阿弥陀如来を熊野大権現と称え、夫婦の結びが厚く『阿弥陀如来熊野大権現』として富貴神寿命神(ふきのかみじゅみょうのかみ)として信仰が続いた。
時代は遷り、徳川幕府が天下を治め、万治三年庚子霜月、肥前蓮池初代藩主、鍋島直澄公は、領内の安穏と五穀豊穣・武運長久を祈願され、現在地(下岩屋亀頭六きづろく)に遷宮再建された。その後、明治維新により藩政が奉還され、明治政府の神仏分離によって、当宮も十二所権現宮を熊野神社と改名、村社として現在に至る。
行事
◆御例祭
二月十九日 祈年祭
十月十七日 例祭
十二月十八日 新嘗祭◆式年祭
再興千百五十年式年祭 (昭和62年11月)を挙行する。
(瀬音さん)
No.1813
2017.8.15 UP
2020.10.19 更新