埼玉県入間郡越生町龍ヶ谷452
東武越生線越生駅より黒山行きバス乗車、上大満下車徒歩20分
龍ヶ谷川に沿って進んでゆくと、参道を経て古刹龍穏寺の立派な山門に導かれる。
その脇、一の鳥居、二の鳥居の奥に鎮座。
一の鳥居
二の鳥居
御祭神:伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊
由緒:
社殿によれば明応元年に龍穏寺第三世住僧泰叟如康が
紀州熊野本宮の産たるにより勧請し寺鎮守にしたという。
本殿は龍穏寺の境内社として五十六世・道海和尚の時代、
天保十五年(1844)に再建されたもの。
拝殿と本殿がつながった権現造りである
(御祭神ともに埼玉県神社庁編「埼玉の神社」参照)
龍穏寺
龍穏寺
永享の頃(1429−1441)に将軍足利義教が上杉持朝に命じて
尊氏以来の先祖の冥福と戦乱に果てた人々の霊を弔うために
創立したものといわれている。
その後兵火にかかり、文明四年(1472)に太田道真、道灌父子に
よって再建された。境内には父子の墓がある。
天正十八年(1590)には、豊臣秀吉から御朱印百石を受け、
次いで慶長17年(1612)には徳川幕府から、曹洞宗の 関東三か寺を命じられ、
国内 二十三か国の曹洞宗寺院の世話をした。
また、江戸に寺地を賜り住職はそこに常在し た公務を務めたという。
宝暦二年(1752)に火災によって堂塔を焼失し、
天保十二年(1842)に再建されたが、
大正2年の火災に よって、山門、経蔵、熊野社を残して全焼し
現存する本堂は戦後再建されたもの。