白子の鎮守
鎮座地の白子は天平宝宇二年(758)に朝廷の命によって渡来新羅人のために新設された武蔵国新羅郷が、転訛したものとされる。
白子の鎮守は本来は氷川神社であったが、いつのころか氷川社が衰微し、かわって熊野社が鎮守とされるようになった。創建年代は不詳ながら、およそ1000年前とされる。
当地は川越街道の白子宿の中心であり、隣接する不動院とともに多くの参詣者をあつめてきた。
明治五年に氷川神社を合祀し村社となる。明治40年に氏子地域(白子全域)に当たる坂上の諏訪社、牛房の八雲社、市場の稲荷社、境内社の氷川社を合祀しているが、これらの諸社は旧地にのこされている。
境内には文化2年(1805)以来の登山記念碑が建つ「白子の富士山」(富士塚)もあり、信仰が篤いことがうかがえる。
東武東上線「和光市」駅から南東1.5キロ。
川越街道旧道をゆるやかにくだると東京都境にほどちかい、落ち着いた街道宿場を漂わせる一角に鎮座していた。ちょうど、幼稚園児の皆さんが遊んでいる。非常に陽気の良い天気だから、それもまた微笑ましかった。
付近は熊野神社意外にも寺院が集中しており、緑が豊富だった。
御祭神
伊弉冉尊・建御名方命・速須佐男命・速玉男命・事解男命・倉稲魂命
(伊達青衝さん)
No.372
2005.3.1 UP
2022.8.27 更新