伊弉諾命、伊弉册命、速玉男命、事解男命が祭神
(旧仁多郡仁多町大字郡村)
祭神は伊弉諾命、伊弉册命、速玉男命、事解男命です。
熊野神社かどうか自信はありませんし、『神国島根』という神社誌にも熊野と云う言葉は一切でてきません。しかし祭神からは熊野神社と思えてなりません。
神門横の説明板によれば、創建年代は大化の改新の頃と云う。
仁多郡の大豪族蝮部臣が郡家大領職にある時に、当地から西2kmの城山(じょうやま)の峰に鎮座していた須我非神社を遷して、郡家鬼門鎮護の神として祀ったと記す。
明治初年までは諾册神社と称していたと云う。
神社名は変転を経ているようだが、祭神から逆に見るのは危険なことだが、 敢えて云えば熊野神社ではなかったろうか。
熊野大社とは川筋が違うので、紀の国の熊野からの勧請かも知れない。
奧出雲でも特にこの辺りの山々の風景はいずこにも神々が坐すように見える。
神社が多く鎮座していそうであるが、意外と少ない。
鳥居をくぐるとこけむした参道が見える。奧出雲の神社には特に苔が目立つ。
春先以降の湿度が高いのだろうか。 また参道両脇には杉の巨木が並ぶ。
そうして神門、拝殿と太い注連縄、本殿と一列に並ぶのは共通した姿である。
神社らしいいい神社だ。
(神奈備さん)
番外編No.4
2002.6.11 UP
2020.11.20 更新