富士山宝永大噴火の翌年の創建と伝わる熊野神社
国道139号線国久保2丁目交差点近くに鎮座している。
境内には国久保公民館があり、公園になっており遊具も設置され、
きれいに整備されている。
拝殿、本殿は切妻造。本殿は白壁塗り。
本殿の左には境内社が2社祀られているが祭神は不明。
御祭神
櫛御気命
御由緒
不詳
石坂の熊野神社を創建した鈴木氏は大渕街道を下り、国久保に移住した。国久保では、富士山宝永大噴火(1707年)の翌年、鈴木氏が中心となってまた入山瀬の熊野神社も、石坂から勧請されたと口伝されている。
(TATSUさん)
No.1523
(てつによる追記)
宝永大噴火は記録が残る中では富士山の最新かつ最大の噴火。
宝永大噴火(ほうえいだいふんか)とは、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた富士山の噴火である。2021年現在、富士山の噴火としては最も新しいものであるとともに、記録が残されている10回の中でも最大のものとされる。…
噴火による直接の死者は記録されていないが、噴煙から降下したスコリアや火山灰よる火災やそれらの急激な堆積などで、主に富士山から東側の地域で甚大な被害が発生した。
2011.12.19 UP
2021.5.16 更新