入植の翌年に浅間山が大噴火、大被害を受けて急遽勧請
山濱さん
御祭神
記名なし(本宮より勧請とあるので家津美御子大神様か?)
社殿の向き
南南西
場所
神社の前の通りは細いのですが、鳥居から石段を登ると広い境内ときれいな社殿には驚かされます。
なんといっても、境内には「なぎの木」が植えてあって、本宮に行ったときが思い起こされます。
お守りやご祈祷までありということでにぎわっております。
由緒書きを読むと、浅間山の噴火をきっかけにお祀りしたようですね。
梛(なぎ)の木
由緒
境内の由緒書きより
金ヶ作(かねがさく)は元武州川越藩郷士石川家五代目石川彦次エ門氏が、当地の新田開発を計画されて天明二年(1782年)元締として九家を引連れて此の地に入植し、一家あたり5町歩を与いて開拓され、翌年七月六日の浅間山の大噴火により大量の火山灰の降灰により、田畑が大被害を蒙り急遽、氏神様を祭神するに当たり、石川彦次エ門氏が神社敷地として、1409.83坪を寄進されて、紀州和歌山の熊野本宮より御魂を拝受、その名を熊野神社と称して祭神されました。(以下略)
境内社
伊弉諾尊、日本武尊、稲荷神社 等
境内社
(TATSUさん)
No.27
2001.2 UP
Nさん
この熊野神社の氏子のNさんからメールをいただきましたので、ご紹介させていただきます。地元の氏子さんからご投稿、とても嬉しく思います。ありがとうございます。(てつ)
冠省
私は上記の處に居住するものです。神社の近くに住んでいるのですが、こんなにも立派に紹介して頂けるとは、氏子の一人として嬉しい限りです。投稿して頂いた山濱氏に感謝致します。神社は、何も施しをしてくれる訳ではありませんが、分け隔て無く見守ってくれる御祭神の御真徳と、心の安堵を戴いております。
石川さんの話に依りますと、最初の入植者は現在の埼玉県や栃木県からの入植者で、小字は佐野などがあります。神社は石川さん個人の祭神でしたが、住民の安寧の為に解放したそうです。その後の入植者として、隣部落の松戸市五香六実や鎌ヶ谷市からの人が多いです。
以前は、神社の様子はとても小規模でしたが、常磐平団地の隣接地となり、新京成電鉄の駅前に成ったので、急激に附近が開発され、住民も数十倍に増えました。神社の社殿は10年ほど前に建て替えられ、現在は3代目だそうで、2代目の建物は、向かって左側にあります。
(Nさん)
2003.1.6 更新
2001.2 UP
2003.1.6 更新
2020.7.8 更新