紀州湯浅の豪族・湯浅氏が熊野権現を勧請と伝わる
拝殿後ろの熊野那智宮
拝殿後ろの熊野本宮
拝殿後ろの熊野新宮
拝殿左の境内社 阿須賀社
社前の燈明杉
御由緒
角川書店刊『角川日本地名大辞典36 徳島県 』より
延喜式内社。旧郷社。古くは十二社権現・内瀬権現とも称した。現在も十二社と呼ばれる。那賀山荘内の最古社といわれ、国道193号の東側に位置する。創祀は未詳だが、宇奈爲は海居のことでその神は海神綿津見神であるともいわれ(阿波志)。祭神豊玉姫命・玉依姫命はともに海神豊玉彦命の娘であり、海との関わりが推定される。「延喜式」神名帳那賀郡条にみえる「宇奈爲神社」に比定される。平安末期に藤原氏の子孫で紀伊国豪族湯浅権守俊明(任宇氏祖)が任宇の地を領するにあたって、熊野十二社(所)権現を当社境内に勧請、その後乾元元年に山伏の不動院性金が住して熊野十二社(所)権現を主として奉祀したところから、宇奈爲神社十二社権現と称するようになったという。天正10年長宗我部元親の兵火にあい焼失、嘉永年間に再度火災にあった。現社殿は安政3年に再建された。寛保神社帳には「木頭村 内瀬権現(十二社権現トいふ)神主木頭村宮太夫 別当同村山伏不動院」とある(続微古雑抄1)。
(玄松子さん)
No.89
2001.7.30 UP
2021.9.20 更新