平安前期に勧請と伝わる熊野神社、鳥居と拝殿の間に農村歌舞伎舞台あり
場所
JR青梅線古里駅より北へ徒歩5分、山を脊にして鎮座。
東京といえども山の中、日没は早い。そのため写真がよく写っていなかった。
ちょうど社殿には明かりがともされたところでしたが、谷あいの雪の残る神社、夕暮れは少しさみしい。
御祭神
伊邪那美乃命、速玉乃男乃命、事解乃男乃命
御由緒
創建年代不詳。もと熊野大権現と称した。仁寿三年(853年)十二月の勧請といわれる。
安永七年(1778年)一月一日社殿焼失。
旧社殿は現社殿石段下にあったが、同八年原島貞兵衛らによって現在地に移された。
境内社
丹生神社(丹生都比賣乃命)、日枝神社
祭礼日
4月29日
その他
東京都指定有形民族文化財 小丹波熊野神社の舞台
この建物は、演劇の舞台としての機能と、神社の楼門に似た性格とを兼ね備えた特殊な遺構である。桁行12.7メートル、梁間5.5メートル、懸造、屋根入母屋造、カヤ葺。階上の舞台面は地表から0.8メートル高、前面は吹抜、背面中央は窓、他は板壁であり、階下の中央は神社の参道、社殿に向って右脇間は楽屋、左脇間は物置になっている。幕末から昭和の初年にかけて、西多摩・南多摩地域の主として神社の境内には、歌舞伎を楽しむために、種々の形態の農村舞台が数多く建てられた。それらのうちでこの舞台は、建築の構成上、はなはだ特色のあるものである。なおこれと同じ様式の舞台が、ここから南東約1.1キロメートルの川井八雲神社にも存する。
(東京都教育委員会)
(TATSUさん)
No.344
2005.1.31 UP
2020.8.30 更新
参考文献