中世の関所の址と伝えられる熊野神社
場所
京王線永山駅より聖蹟桜ヶ丘行きバス車橋下車3分
鎌倉街道より少し入ったところにありました。多摩川の関戸橋より程近く、橋を渡れば府中、分倍河原です。戦後開発された、多摩ニュータウンの中にあります。開発前は一面の丘陵地でした。
訪れたときは日没まで時間があったのですが、しばらくすると山陰なので急に暗くなり写真もよく写っていません。しばらくすると神社の方(?)がこられて、社殿に明かりが点りました。
御祭神
速玉之男命(はやたまおのみこと)
泉事解男命(みづことわけおのみこと)
意冨加牟都美命(おおかむつみのみこと)
(東京都神社庁の資料による)
御由緒
延徳元年(1489年)九月九日和歌山県の熊野三社神社を勧請したとされている。
なお参道脇には東京都史跡霞ヶ関南ノ木戸柵跡がある。
境内社
稲荷社
祭礼
9月第2日曜日
その他
熊野神社は霞ノ関と呼ばれた中世の関所の址と伝えられています。北の木戸、南の木戸がそれぞれ構えられていたと伝えられています。
鎌倉時代の建暦3年(1213)に設けられました。
鳥居の後ろには関所の柵列の址が数本残されています。霞ノ関の名は”回国雑記”に吾妻路の霞ノ関に・・”と記載がある他、藤原定家の歌にもその名が登場するなど、当時は東国の関門として広く名が知られていたようです。鎌倉期より鎌倉街道(下の道)を扼する重要な関門としての役割を果たしていたと思われます。
(TATSUさん)
No.277
2004.11.6 UP
2020.6.9 更新