鐵砲洲稲荷神社境内社
鐵砲洲稲荷神社
場所
東京メトロ有楽町線新富町駅より徒歩15分ほど。
鉄砲州児童公園に隣接して鎮座している。
御由緒
鐵砲洲稲荷神社は、江戸湊の入口に鎮座する神社として、地域の人々の信仰を集めてきました。
神社は、寛永元年(1624)頃、稲荷橋南東詰に遷りましたが、明治元年(1868)現在地に移転し、今日に至っています。
関東大震災より被害を受けた境内は昭和十年(1935)より復興、整備され、正面中央奥に社殿、左手に神楽殿と摂社八幡宮、右手に社務所と手水舎が向い合うように配置され、境内西南隅には神輿庫が設けられています。
また、西北隅には富士山の溶岩で築いた富士塚があり、
そこを富士信仰の場としていました。 後略」
(境内掲示の「鐵砲洲稲荷神社」参照)
富士塚
鐵砲洲稲荷神社境内社、熊野神社
この神社は、東京都の神社明細帳を調べているとき、境内社として熊野神社が鎮座していることを確認した。
しかし古い資料なので(明治十二年編纂)現存しているかはわからないので参拝してみることにした。
その結果、摂社八幡神社の中に熊野神社は現存していた。
鐵砲洲稲荷神社摂社 八幡神社
社殿の中には、扁額が5枚掲げられている。
それには左から、
①天満社・恵比壽社・大國社
②浅間社・三輪社・御嶽社・小御嶽社・鹿島社・粟島社・香取社
中央に③八幡神社・豊玉稲荷社・五社稲荷社
④琴平神社・宮比社・大鳥社、
⑤住吉社・水神社・熊野社・春日社・船玉社・厳嶋社と表示されていた。
しかしどうして、熊野神社がこの鐵砲洲稲荷神社に祀られるに到ったかの経緯は判明しなかった。
熊野神社御祭神
事解男命
伊邪那岐命
速玉男命
(神社明細帳参照)
(TATSUさん)
No.1743
2013.6.18 UP
2023.10.7 更新