平安初期に日光山の開山の祖・勝道上人が勧請
糸己リリリさん
田畑の平野が広がる所にぽつんと神社の森がありました。
上記写真は第二鳥居です。左手は飯貝公民館になっていました。
看板に由緒などが記載されておりましたので掲載します。
御由緒
807年、日光山の開山の祖と言われている勝道上人が日光山より郷里高岡に帰られる途中この里の阿弥陀堂を拝し通夜をしたところ阿弥陀如来の霊感をうけ紀州熊野三山から熊野三社を勧請したと言われる。
箕輪山熊野権現と称したが、明治の神仏分離令により熊野神社と改称する。
指定文化財
石造鳥居・本殿・算額・神楽面・大般若経
左側の狛犬は右手に手毬、右側の狛犬は子供の狛犬を押さえつけていました。
社殿側面です。細かい彫刻がされていました。
社殿裏、左側に1社、右側に5社、計6社が確認できました。
一番右側のが潰れておりますが、右から3番目の足元には8cmくらいの石作りの恵比寿の顔だけが置かれていました。
社殿裏、中央にくっついて合体した3本の杉がありました。
社殿手前左側の出口付近にもう一つ鳥居があり、お稲荷さんが鎮座していました。
(糸己リリリさん)
TATSUさん
御祭神
伊弉册命、事解男命、速玉男命
由緒
大同二年(807)の創立。勝道上人の勧請。
紀州熊野三社大権現を遷祀したものと伝う。
(「栃木県神社誌」より)
(TATSUさん)
(糸己リリリさん&TATSUさん)
No.818
2007.12.13 UP
2021.9.27 更新
参考文献
- 『栃木県神社誌』