戦国時代の勧請と伝わる熊野神社
糸己リリリさん
【栃木県道184号】(安塚雀宮線)
周りは田畑(民家)で、少しわかりづらいかも知れません。
目印になりそうなものは、JA梨集荷場と果樹園。
参道両脇に民家が迫っていていまにも押しつぶされそうでしたが、参道両脇に小さな花が植えられていました。
参道を進むと立派な木が見えます。左手に見えるのがJA梨集荷場。
(参道には大谷石が敷き詰められています。)
参道を進むと立派な木が見えます。(歴史を感じさせます。)
下の赤い屋根が社殿です。
左側社屋は地元の公民館になっているようでした。
社殿左右に5社づつ小さな石でできた社が10。
内、確認できたのは2つ。八坂神社・雷電神社。残りの8体は不明でした。
上記写真のように、この地域では、大谷石(おおやいし)という石材がよく使用されています。 (鳥居・狛犬・手水、石碑・蔵など)
大谷石は気泡が多く含まれた溶岩石なので、軽くて加工しやすいが、歴史のあるものは風化してしまうので残念です。
(糸己リリリさん)
TATSUさん
御祭神
伊弉諾命,速玉男命,事解男命,木花咲耶姫命,雷電神,大日め命
御由緒
当社は元亀二年紀伊国牟婁郡の熊野神霊を勧請したといわれ、その後、慶長十二年宇都宮城主奥平大膳太夫家臣生田内匠尚定、この地を知行せられたるとき武運長久の為再興したという。
(御祭神・由緒ともに「栃木県神社誌」より)
(TATSUさん)
(糸己リリリさん&TATSUさん)
No.761
2007.9.19 UP
2021.10.29 更新
参考文献
- 『栃木県神社誌』