熊野との関連がわからず 熊野神社ではないかも
阿太賀都健御熊命神社(あだかつたけみくまのみことじんじゃ)
祭神:健御熊命(たけみくまのみこと) 明治元年に天一箇神・保食神を合祀
境内天然記念物:玄武岩柱状摂理(柱状の自然石。輝石安山岩。)
写真で見るとそうでもないけど、すごい傾斜。天気の良い月曜日のこと。
汗が滝と夕立ちが一緒になったように、ジャカジャカ、ドクドク、
ゴボゴボ○o。.と流れ出たよ。御かげで晩のビールが美味かったよ。
(神のなせる技か? な? )
「阿太賀都健御熊命」、この人の命を救うために、玄武岩が30メートルくらいの高さにわたって階段状に横たわっている。
うーん。これはいつか見た。いつか聞いた話だ。
由緒沿革
式内社。明治4年、村社となる。
「祭神の健御熊命は、天穂日命(福井)の御子神で、別名・天夷鳥(ひなどり)・天鳥船ともいう。神話の出雲の国譲りには、健御雷命の副使として出雲に降り父神に従って出雲に留まったといわれる。また、健御熊命は、この社地付近の崎から一夜で隠岐島に架橋しようとして多くの石柱を切り出したが天邪鬼が邪魔して夜明けの鶏鳴を真似たため、夜明けと思って放棄した。そのためこの社地付近の山地から、白兎(はくと)の海中までその石柱が散乱して現在に残り、社地への80段の柱状の自然石階段は、すべてその名残りであるという。このため、健御熊命神社は柱大明神とも称された。この時、石を切り出す鉄を鍛えた鍛冶屋谷、石の切屑を捨てた石屑(こけら)谷、細工谷などの地名が残り、摂社に鍛冶殿社を祀った。」(県神社誌・因幡誌より)
昭和49年4月4日「御熊神社玄武岩柱状摂理」を市天然記念物に指定。
自然石の階段
かぶさんのHP「メンタルコスモス」はこちら
(かぶさん)
No.68
(てつによる追記)
加藤隆久編『熊野三山信仰事典』(戎光祥出版)に収められた神社本庁教学研究所の調査による「全国『熊野神社』綜覧」に、この神社の名前が記されており、そまがかぶさんに依頼し、参詣記を投稿していただいたのですが、熊野との関連を示した御祭神や由緒沿革がわかりません。もし御存知の方がいらっしゃいましたらぜひ情報を御寄せください。
2001.5 UP
2020.2.16 更新
参考文献
- 加藤隆久 編『熊野三山信仰事典』神仏信仰事典シリーズ(5) 戎光祥出版