富山藩主前田家の祈願所であった熊野神社
2002年4月28日(日)撮影
鳥居横にある像
拝殿
小さな石橋のむこうに本殿
拝殿左横の大きな御神木らしき木
旧越中国 婦負部 富山支部 01192
【祭神】 櫛御氣野命 (合祀)天照大神 應神天皇 水罔女神
【例祭】 4月2日 例祭
【まつり】 新暦 1月 1日 1日間 元旦祭 新暦 2月 17日 1日間 祈年祭 新暦 4月 2日 1日間 例祭 [通称]春祭 新暦 11月 15日 1日間 秋祭 新暦 11月 23日 1日間 新嘗祭 [通称]勤労感謝祭 熊野神社略記
熊野神社の所在地という意味でその地を熊野郷と呼ぶようになり、その熊野郷は上熊野と下熊野の二村にわけ、供田や神饌田を有して社家と神子の両家で神事をとり行い、一、二、三の鳥居の続いた大社でした。神前を流れる川で手を清めて参拝したので、その御手洗川を熊野川と呼ぶようになりました。享保十年(1725)七月におそろしいひでりが続いたとき、当時の神官横越阿波守則恒が藩主の命うけて、十七日間の雨ごいの祈祷をしました。領内の神官全員参列しての神事でしたが、その七日目に雨が降り出し、霊験をたたえて参拝する人の列が続いたと伝えられております。木草学(薬学)の大家、富山藩主前田利保公は、領内の巡視にはいつも当神社へ立寄り、神前へ詣でては五穀の豊作と天平の泰平を祈り、その祈願料として高を十石を奉納になりましたが、これは明治維新まで続きました。
以上
「平成祭データCD」より引用
(玄松子さん)
玄松子さんのHP「玄松子の記憶」はこちら
No.138
2002.6.18 UP
2020.2.4 更新