紀岡前来目連による勧請と伝わる熊野神社
和歌山市森小手穂?
祭神
熊野速玉男命、与母都事解男命、伊弉册命
※与母都事解男命の「事」は本当はこの字。
御由緒
社頭の説明
来目連、岡崎を領し、鎮守として熊野三神を勧請すと
『古代神社勧請録』に記載あるも年月日は不詳。
雄略天皇九年新羅と戦い来目連は戦死とあり、それ以前の勧請と想う。
とありました。
(『紀伊続風土記』から)
十二社権現社 境内周五二間。
舊は岡崎郷中の産土神なり。
寺内村満願寺の七社を荘中の護神とせしより当村のみの氏神となれり。
天正の兵火に罹りてより小祠となり祭り廃絶たり。
雨が降っていて写真はもうひとつですが、大きい木が社頭にあり、アクセントになっています。
境内は狭いのですが大切にされているような雰囲気です。
(神奈備さん)
No.171
(てつによる追記)
紀岡前来目連(きのおかさきのくめのむらじ)は『日本書紀』にみえる武人。紀伊国名草郡岡前(和歌山市岡崎)を本拠としたとみられる。雄略天皇9年、新羅征討軍に加わり、新羅で戦死したという。
2003.2.12 UP
2022.2.22 更新