山口繁栄の基礎を築いた大内氏が室町時代に勧請
御祭神 伊邪那美大神 事解男命 早玉男命
熊野神社の由来
古来当地鎮守の神として御神徳の高い熊野神社は御祭神に、伊邪那美大神、事解男命(ことさかのおのみこと)早玉男命(はやたまのおのみこと)を奉斎する古社にして御主座に座す、伊邪那美命は、天照大神の御母君に当らせ給ひ、人類始祖の大神にして、その昔、山川草木を始め、国土の創生に到るまで、宇宙間の森羅万象を生成し給ふ高き尊き御神徳の大神で古来皇室を始め万民の尊崇最も篤き大神に座します。
本神社は人皇御百三代後圓融天皇の御代大内氏が当国を領せし時、紀州熊野神社を当熊野山頂に御勧請申し奉りその後毛利氏これを継ぐや天文二丁巳年防長の大守大江宗広朝臣、御神殿、拝殿を再興して神祇崇敬の誠を尽くしてより星霜二百三十八年を経ております。
(境内案内板より)
境内社
本殿の額
入り口鳥居
湯田温泉近く。錦川を渡って鳥居をくぐって長い階段を上っていくと、熊野神社がありました。境内は広場のようになっていて、本殿に行く手前が「うちゅうひろば」、狛犬の手前は「こまいぬひろば」と木札が付けられていて、地元の子供達に親しまれている神社、という印象でした。
(そま)
No.181
(てつによる追記)
中原中也が少年時代に学校をさぼっては登っていたという山がこの熊野神社が鎮座する権現山でした。標高40m。石段を登りきった山上に熊野神社が鎮座します。
2003.6.1 UP
2019.10.21 更新