甲斐善光寺境内にある石祠
山梨県甲府市、甲斐・善光寺を参拝させて頂いた際、境内の稲荷神社隣に、熊野神に関係すると思われる小さな石の祠が祀られているのをみつけました。
詳細は不明なのですが投稿させて頂きます。
山門
金堂
甲斐定額山浄智院善光寺の由来 (現地石碑より)
定額山浄智院善光寺は、武田信玄公が、永禄年中、川中島の合戦の折、信濃善光寺が兵火にかかるのを恐れ、本尊阿弥陀如来、その他、諸仏、寺宝、大梵鐘に至るまで、ことごとく甲斐に招来し、大本願第三十七世鏡空上人を開山に迎え、信濃善光寺開基本田善光公追葬の地、ここ板垣の郷に新たに建立せられたものである。
その後、江戸時代にも歴代国主の帰依と保護を受け、浄土宗甲州触頭として、金堂、山門、三重塔、鐘楼をはじめ本坊三院十五庵の大伽藍を有し、荘厳を極めるに至った。
ところが、宝暦四年二月、門前の農家の過失により類焼し、堂塔ことごとく烏有に帰してしまった。
そこで、中興し、○(まだれの中に疑)誉上人、性誉両上人が再興勧進に奔走し、三十有余年の歳月を費やして、寛政八年八月、金堂が落慶した。
これが現在の伽藍で、昭和三十年六月、金堂、山門、共に重要文化財に指定され、同三十二年より五年間にわたり、大修理が行われた。
金堂は、日本有数の大建築として著名である。
本尊は、建久六年、尾張の僧、定尊が霊夢により造立した金銅善光寺式一光三尊阿弥陀如来像で、重要文化財の指定を受けている。
このほか、文禄年間、甲斐国主浅野長政公が他寺より動坐した木造阿弥陀三尊像二組も、それぞれ重要文化材である。
また、県指定文化財の木造源頼朝像、木造釈迦涅槃像、当麻曼荼羅図、梵鐘など多数の寺宝を所蔵している。
寺域には、文禄二年、朝鮮の役で戦病死した国主加藤光泰公の墓所などもある。
当山は、創建以来、時に盛衰はあったが全国の深い尊信を集め、今日に至っている。
境内に祀られている稲荷神社
稲荷神社脇の石の祠
左手の石祠に諏訪の文字を発見し、熊野関連の祠もあるのではないかと他の祠も拝見すると。
熊野神○(雨の下に口が三つ?)窟(?)の文字が刻まれていました。
霝(レイ;おちる)?
靈(霊の旧字)を略したもの?
(瀬音さん)
No.1805
2016.6.2 UP
2021.5.16 更新
参考文献
- 『甲斐国志』