もと熊野神社、江戸時代末に改称
JR四方津駅より徒歩約30分。大野貯水池よりすぐ。
途中の山道は紅葉真っ只中である。
集落の奥の小高いところ、木々に囲まれて遠くからでも赤い鳥居が望まれる。
一の鳥居、二の鳥居をぬけた先、拝殿は石段を20段ほどの登ったところの狭い敷地に鎮座。
二の鳥居の側の石灯篭には、「熊野大権現」、天明八年戌申霜月吉日(1778)と刻まれている。
天明八年といえば、田沼意次が死去し、松平定信が将軍の補佐役に就任した年であり、いわゆる寛政の改革の始まった年でもある。また京都で大火があった、「天明の大火」である。
御祭神
伊弉諾尊
伊弉册尊
御由緒
創建年代不詳
宝暦五年(1755)、文政二年(1819)修復の記録がある。
創建以来、熊野神社と称していたといわれているが、慶応元年(1865)五月十五日惣祖神社と改称された。
(御祭神とも「山梨県神社誌」より)
(TATSUさん)
No.814
2007.12.9 UP
2021.12.15 更新
参考文献
- 『山梨県神社誌』