■ 熊野古道 九十九王子

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◆ 三栖王子(みすおうじ)  和歌山県田辺市下三栖


三栖王子 熊野古道中辺路(なかへち)」。万呂王子と八上王子の間、梅畑の傍に三栖王子はあります。

 建仁元年(1201年)の藤原定家の『後鳥羽院熊野御幸記』には、10月13日の記事に「また山を越えて丸王子に参る。次にミス山王子、次にヤカミ王子」とあります。この「ミス山王子」が三栖王子でしょう。

 承元4年(1210年)の藤原頼資の『修明門院熊野御幸記』には、4月28日の記事に「丸・三栖・八神など3ヶ所の王子に御参りは常のごとし」とあります。

 鎌倉末期から参詣路が潮見峠越えに変わり始めたため、三栖王子は次第にさびれていきました。

 

 

三栖王子 案内板より。

 三栖の地名は藤原為房の日記、「大御記」に見えます。為房は永保元年(1081)十月に熊野に参詣した際、三栖荘で宿泊しています。王子の名は藤原定家の日記、「熊野道之間愚記」に「ミス山王子」と書かれているのが初見です。承元四年(1210)四月の「修明門院熊野御幸記」でも三栖王子に参拝したことが記されており、承久二年(1220)年11月に熊野参詣をした藤原頼資の日記にもこの王子の名が見られます。室町時代には、すでに、三栖から塩見坂(潮見峠)越えの道が開かれていましたが、応永三十四年(1427)九月に熊野参詣をした足利義満の側室・北野殿は、旧来の参詣路を経由しています。その後、退転し、江戸時代に再興されて「影見王子」と呼ばれたようです。明治初年に八坂神社の摂社となり、同四十一年に一倉神社(現、珠簾神社)境内に移転しました。

三栖王子からの眺め 三栖王子からの眺め。

 三栖王子は江戸時代に再建され、下三栖村の産土神として崇敬を受け、川面に影を映す美しい社殿から影見王子と呼ばれましたが、慶応4年(1868年)の大雨で崩壊してしまったそうです。

 案内板の隣には、万葉歌の額田王の歌の碑があります。

三栖山(みすやま)の 檀弦(まゆみつら)はけ わが夫子(せこ)が射部(いめ)立たすもな 吾(あ)が 偲(しの)ばむ (万葉集 額田王の歌)

紀伊の国の檀でこさえた弓に弦をかけてあの方は今頃張り番をつけておいて獣狩りをしていられることだ。私はこうして焦がれていなければならぬのか。
  折口信夫釈迢空
   国学者 歌人
   元国学院 慶応義塾大学教授

 

 (てつ)

2009.5.29 UP

 ◆ 参考文献

くまの文庫4『熊野中辺路 古道と王子社』熊野中辺路刊行会
本宮町史編さん委員会『本宮町史 文化財編・古代中世史料編』本宮町
西口勇『くまの九十九王子をゆく 第二部 中辺路・大辺路・小辺路編―田辺・高野から那智・新宮へ―』燃焼社

アクセス:JR紀伊田辺駅から車で約10分
駐車場:駐車場はないが、付近に駐車スペースはあり
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