神のもともとの本体は仏
熊野の神々のことを熊野権現(くまのごんげん)と呼びます。
「権現」とは字義的には「仮に現われた」ということ。何が仮に現われたのか。
それは仏。
6世紀に伝来された仏教は日本国内に普及していく過程のなかで、次第に神道との融和をはかるようになり、また、神道の側でも仏教との融和をはかるようになりました。
そうした流れのなかで、神の本体は仏であるという考え方が生まれました。本地垂迹(ほんじすいじゃく)説といい、仏や菩薩がもともとの本体であり、人々を救うために仮に神の姿をとって現われたのだという考え方です。本体である仏や菩薩を本地といい、仮に神となって現われることを垂迹といいます。また、仮に現れた神のことを権現といいます。
こうした本地垂迹思想を熊野は受け入れ、本宮の主祭神の家都美御子神は阿弥陀如来を、新宮の主神の速玉神は薬師如来を、那智の主神の牟須美神は千手観音を本地とするとされ、本宮は阿弥陀如来の西方極楽浄土、新宮は薬師如来の東方浄瑠璃浄土、那智は千手観音の南方補陀落(ふだらく)浄土の地であると考えられ、熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになりました。
熊野の神々は熊野権現と呼ばれ、熊野三山のそれぞれの主祭神をまとめて呼ぶ場合は熊野三所権現といい、熊野三所権現と熊野三山に祀られる他の神々(五所王子・四所明神)を合わせて呼ぶ場合は熊野十二所権現といいます。
(てつ)
2008.2.26 UP
参考文献
- 加藤隆久 編『熊野三山信仰事典』神仏信仰事典シリーズ(5) 戎光祥出版