土地にびた一文落ちず
……旅宿は一向泊り客なく、大阪等より三百人五百人と団体が来たるも、いずれもアンパンから酒まで彼方で買って持ち来たり、ただ席料を支払い、また茶を一茶瓶いかほどと前もって談判の上、一時半時畳の上に座るのみ、朝来たりて午後去るゆえ、宿泊料にならず。気のきいた奴は千畳敷を眺めて、青天井で提帯し来たれる飲食を平らげ竹の皮を捨ててそのまま汽車で大阪へ上るゆえ、土地にびた一文落ちず。
ー 上松蓊宛書簡、昭和11年(1936年)3月29日付 『南方熊楠全集』別巻1
南方熊楠は田辺の町が観光を柱として地域づくりを行うことを望みました。観光を地域の柱にするには、観光客に宿泊してもらわなければなりません。
熊楠は近隣の観光地・白浜温泉が日帰り客中心なのを見て「土地にびた一文落ちず」と述べています。他所から持ってきたものを青空のもと野外で飲食し、そのゴミは当地に捨てて、宿泊せずに帰られては、地域にお金が落ちません。お金が落ちないどころか、日帰り客が落としていく排泄物とゴミの処理にもお金がかかるので地域としてはマイナスになります。
日帰り客中心の観光では地域経済への波及効果は薄く、トイレの維持管理やゴミの処理にかかる労力や費用は地域にとって重い負担になります。観光地にとって大切なのは日帰り客ではなく宿泊客、日帰り客数ではなく延べ宿泊数です。いかに地域にお金が落ちるか、です。
熊楠が望んだのは田辺の町が観光客が宿泊してくれる観光地になることでした。わざわざ遠くからそこに行って宿泊するだけの価値がある場所になることでした。
その価値は地域ならではのものから生まれます。地域の自然や人々の暮らし、歴史、文化。この地域ならではの価値あるものを保全しながら活用し、価値を未来に残し続ける観光開発を熊楠は望みました。
田辺市が目指す「世界に開かれた質の高い持続可能な観光地」は、今から百年ほど前に熊楠が夢見た地域の未来です。
(てつ)
2024.8.13 UP
参考文献
- 『南方熊楠全集』別巻1、平凡社