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南方熊楠「ことにより外国人の悪感を買うの具とも成りぬべし」

ことにより外国人の悪感を買うの具とも成りぬべし

外国人観光客

万事万物新しき物のみで、露軍より分捕の大砲など社前に並べあるも、これは器械で製造し得べく、また、ことにより外国人の悪感を買うの具とも成りぬべし。

ー 「神社合祀に関する意見(原稿)」白井光太郎宛書簡、明治45年(1912年)2月9日付『南方熊楠全集』7巻

 1908年(明治41年)11月23日、新嘗祭の日に南方熊楠熊野本宮大社(当時の社名は熊野坐神社)を訪れました。

 熊野本宮は1889年(明治22年)の明治紀伊半島大水害で大きな被害を受け、1891年(明治24年)に現在の高台に遷座しています。熊楠が訪れたのは遷座から17年後で、熊野本宮の境内は「万事万物新しき物のみ」でした。

 しかも社殿の前には日露戦争でロシア軍から戦利品として鹵獲した大砲などが並べてありました。日露戦争後、政府は戦利品のロシア軍の兵器や日本軍の廃兵器を神社やお寺、学校、役場などに配布しましたが、本宮の社前に並べられていたのも政府が配布したものです。

 社前の大砲を見て熊楠は、外国人が本宮を訪れたときに場合によっては不愉快な気持ちを抱く元となるであろうと指摘しています。今でこそ熊野を訪れる外国人旅行者は珍しくないですが、熊楠は今から百年ほど前にすでに、外国人旅行者が熊野を訪れるようになると考えていました。わざわざ外国人が訪れるだけの価値が熊野にはあると熊楠は確信していたのです。

 熊野本宮大社には現在、多くの外国人旅行者が訪れます。もし今もまだ社前に大砲などが並べてあったとしたら、やはり外国人旅行者を不愉快な気持ちにさせていたのではと思います。

 社前に鹵獲した兵器を並べるようなことはもう2度あってほしくないと願います。

(てつ)

2024.5.4 UP
2024.10.18 更新

参考文献