われただ火を救うがために死して已まんのみ、と
玄奘三蔵の『大唐西域記』に、
むかし雉の王あり、大林に火を失せるを見て、清流の水を羽にひたし幾回となく飛び行きてこれを消さんとす。
帝釈天がこれを見て笑うていわく、汝何ぞ愚を守りいたずらに羽を労するや、大火まさに起こり、林野を焚(や)く、あに汝、微躯のよく滅すところならんや、と。
雉いわく、汝は天中の天帝たるゆえ大福力あり。しかるにこの災難を拯(すく)うに意なし、まことに力甲斐なきことなり。多言するなかれ、われただ火を救うがために死して已(や)まんのみ、と。
ー 松村任三宛書簡、明治44年(1911年)8月29日付( 『南方二書』)『南方熊楠全集』7巻
南方熊楠は報われることもなく神社合祀反対運動を続ける自身の姿を、中国唐代の僧・玄奘三蔵の天竺への旅の報告書『大唐西域記』にある雉の王になぞらえました。
昔、雉の王がいて、大林で火事が生じたのを見て、清流の水を羽にひたし幾回となく飛んで行ってこれを消そうとする。
帝釈天がこれを見て笑って言った、「汝はどうして愚を守り無駄に羽を労するのか。大火がまさに起こり、林野を焼いている。どうして汝の小さな体で火を消すことができようか」と。
雉は言った、「汝は天中の天なので大きな福力がある。しかしながらこの災難を救う気持ちがない。まことに力甲斐のないことである。多くを言うな。私はただ火から救うために死ぬまで続けるだけだ」と。
熊楠のような大学者であっても、神社合祀反対運動に奔走していたときには無力感に苛まれていたのではないかと想像します。熊楠が守ることができた神社の森はほんのわずかです。熊楠が神社合祀反対運動に立ち上がってからも多くの神社の森が失われていきました。
それでも、熊楠は、山火事を消そうとする雉の王のように、神社の森を守るために戦いを続けました。
(てつ)
2024.5.10 UP
参考文献
- 『南方熊楠全集』7巻、平凡社
- 南方熊楠(著)、中沢新一(編)『南方熊楠コレクション 森の思想』河出文庫
- アジール - Wikipedia