国が推し進めた神社の統廃合
明治の神仏分離令と神社合祀令は熊野に深い傷跡を残しました。
とくに明治39年に施行された1町村1社を原則とする神社合祀令は熊野に壊滅的なまでのダメージを与えました。
明治政府は記紀神話や延喜式神名帳に名のあるもの以外の神々を排滅することによって神道の純化を狙いました。
熊野信仰は古来の自然崇拝に仏教や修験道などが混交して成り立った、ある意味「何でもあり」の宗教ですから、合祀の対象となりやすかったのでしょう。村の小さな神社が廃止されただけでなく、歴代の上皇が熊野御幸の途上に参詣したという歴史のある熊野古道「中辺路」の王子社までもが合祀され、廃社となりました(田辺から本宮まで二十数社あった王子社で廃社にならずに済んだのは、なんと、八上王子と滝尻王子のみ)。
五体王子のひとつとして格別の尊崇を受けた稲葉根王子や発心門王子でさえ合祀されたのです。小さな神社や王子社のほとんどが合祀され、神社林は伐採されました。
神社合祀の嵐が熊野に吹き荒れるなか、神社合祀反対運動に立ち上がったのが南方熊楠です。南方熊楠は下に示す8つの項目を理由に挙げて神社合祀に反対しました。
1 神社合祀は敬神の念を減殺する
2 神社合祀は民の和融を妨ぐ
3 神社合祀は地方を衰微せしむ
4 神社合祀は国民の慰安を奪い、人情を薄うし、風俗を害する
5 神社合祀は愛国心を損ずる
6 神社合祀は土地の治安と利益に大害あり
7 神社合祀は史蹟と古伝を滅却す
8 神社合祀は天然風景と天然記念物を亡滅す
(『神社合祀に関する意見』より)
南方熊楠のキャラメル箱/『神社合祀に関する意見』口語訳
しかしながら熊楠の奮闘もむなしく、神社合祀令により熊野(和歌山県・三重県)の神社のおよそ9割が滅却され、神社林が伐採されていまいました。
熊楠の働きかけにより守られた神社や森や木:神島、那智原始林、野中の一方杉、引作の大クス、闘鶏神社、八上神社、田中神社など
(てつ)
2008.4.8 UP
参考文献
- 中沢新一 責任編集・解題『南方熊楠コレクション〈第5巻〉森の思想』河出文庫
- 中沢新一『森のバロック』せりか書房
- 鶴見和子『南方熊楠』講談社学術文庫