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南方熊楠「スペイン人は今も天の川をエル・カミノ・デ・サンチアゴと呼ぶ」

スペイン人は今も銀河(あまのがわ)をエル・カミノ・デ・サンチアゴ(サンチアゴ道)と呼ぶ

コムポステラの伽藍に尊者の屍を安置し霊験灼然とあって、中世諸国より巡礼日夜麕至(くんし:群がってやって来ること)して、押すな突くなの賑い劇しく、欧州第一の参詣場たり。よってスペイン人は今も銀河(あまのがわ)をエル・カミノ・デ・サンチアゴ(サンチアゴ道)と呼ぶ。

ー 「鶏に関する民俗と伝説」『南方熊楠全集』1巻

 スペイン・ガリシア州にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラはエルサレム、バチカンと並ぶキリスト教三大巡礼地のひとつで、そこへの巡礼路をスペイン人はエル・カミーノ・デ・サンティアゴ(El Camino de Santiago)と呼びます。また天の川のこともエル・カミーノ・デ・サンティアゴと呼びます。

これ『塩尻』巻四六に、中古吉野初瀬詣で衰えて熊野参り繁昌し、王公已下道者の往来絶えず、したがって蟻が一道を行きて止まざるを熊野参りに比した、とあり。今も南紀の小児、蟻を見れば「蟻もダンナもよってこい、熊野参りにしょうら」と唱うるは、むかし熊野参り引きも切らざりしこと、蟻群の行列際限を見ざるようだったに基づく。それと等しく、銀河中の星の数、言語に絶しておびただしきを、サンチアゴ詣での人数に比べたのだ。

ー同上

 天の川のことをエル・カミーノ・デ・サンティアゴと呼ぶのは、熊野参詣の往来を蟻の行列にたとえたのと同じようなことで、天の川の星の数の多さをサンティアゴ巡礼の人数の多さにたとえたのだと南方熊楠は述べています。

 一方は天の川の星、一方は蟻の行列にたとえられるほど大勢の人々が歩いた2つの聖地への道。サンティアゴ・デ・コンポステーラへの道と、熊野への道。

 明治以降、神仏習合の禁止や修験道の禁止、巫女の禁止などで熊野はその価値を否定され、熊野への道もその価値がまったく認められていませんでしたが、熊楠は熊野への道がサンティアゴ・デ・コンポステーラへの道への道に匹敵するほどの価値があるものなのだと考えていたのでしょう。

 上に引用した文章を熊楠が発表したのは1921年(大正10年)のことですが、それから72年後の1993年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は世界遺産に登録され、その11年後の2004年には熊野への道が「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。数百キロメートルに及ぶものとしては、現在世界でただ2つの世界遺産の道です。

サンティアゴについて

 サンティアゴは聖ヤコブのスペイン語。イエスの12使徒のひとり。

サンチアゴ(英語でセント・ジェームス、仏語でサン・ジャク)大尊者はキリストの大弟子中、ペテロに次いだ勢力あり。その弟、ジョアンとともにキリストの雷子と呼ばる。のち殉教に臨みこれを訴えし者、そのひととなりに感動され、たちまちわれもまたキリスト教徒なりと自白し、伴い行きて刑に就く。途上尊者に向い罪を謝し、共に斬首された。この尊者かつてスペインに宣教したという旧伝あって、八三五年にイリアの僧正テオドミル、奇態な星に導かれてその遺体を見出してより、そこをカムポ・ステラ(星の原)、それが転じてコムポステラと呼ばれたという。コムポステラの伽藍に尊者の屍を安置し霊験灼然とあって、中世諸国より巡礼日夜麕至して、押すな突くなの賑い劇しく、欧州第一の参詣場たり。

ー同上

 9世紀に遺骸が現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラの地で発見されたとされ、スペインの守護聖人とされました。

(てつ)

2024.10.26 UP

参考文献