湾内へ魚入り来るは主としてこの森存するにある
神島
たとえば今度御心配をかけし当田辺湾神島のごときも、千古斧を入れざるの神林にて、湾内へ魚入り来るは主としてこの森存するにある。これすでに大なる財産に候わずや。
ー 松村任三宛書簡、明治44年(1911年)8月29日付( 『南方二書』)『南方熊楠全集』7巻
神島の森は大昔から斧が入れられることのなかった神様の森で、湾内に魚が入ってくるのは主にこの神島の森があるからだ。神島の森は漁民たちに経済的な利益をもたらしてくれている大きな財産なのだ。
南方熊楠は、地域経済のためにも神島の森は大切な場所なのだと訴え、森の伐採に反対しました。
神島(かしま)は、その名の通り神様の島として田辺湾の漁民たちに信仰されてきた、田辺湾に浮かぶ無人島です。この神様の島も神社合祀で廃社となり、森が伐採される計画が立てられました。
熊楠の訴えは田辺湾の漁民たちの声です。
漁民たちの間には海岸や小島に森に残したら魚がそばに寄ってくるのだというある種の信仰のようなものがあり、古くから海岸や小島の森を守ってきた歴史がありました。そのような森は魚つき林と呼ばれました。
なぜ魚が森に寄るのか、その理由は熊楠の頃にはまだわかっていませんでしたが、その後、魚つき林には魚類の生息や生育によい影響をもたらすいくつもの機能があることがわかってきました。
魚つき林の機能としては、(1)土砂の流出を防止して河川水の汚濁化を防ぐ、(2)清澄な淡水を供給する、(3)河川や海洋の生物に栄養やエサを提供するなどの機能があると考えられている。ほかに、海面に影を落として直射日光を妨げ、魚介類の生育環境を安定させる効果や魚介類の繁殖を助ける効果、回遊魚を誘致して滞留させる効果が指摘されている。明治時代から1980年代までは、有効な科学的研究が少なかったが、それ以降の研究で、水辺林では魚類のエサとなる昆虫や魚類の住処を提供すること、海岸林では落ち葉が生態系に重要な役割を示すことや花粉の成分が魚類の健康に貢献することが明らかとなった。
田辺湾の漁民たちには魚が森に寄る科学的な理由はわかっていませんでしたが、経験的に、海岸や小島の森を保全することが自分たちに経済的な利益を持続的にもたらしてくれることをわかっていました。
だから神島の森を伐採させるわけにはいきませんでした。
神島の森の伐採は熊楠や漁民たちの抗議の声により中止になり、その後、国指定の天然記念物として保護されることになりました。熊楠の尽力はもちろんありましたが、田辺湾の漁民たちの声が神島の森を守ったのです。
(てつ)
2024.5.20 UP
参考文献
- 『南方熊楠全集』7巻、平凡社
- 南方熊楠(著)、中沢新一(編)『南方熊楠コレクション 森の思想』河出文庫