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蟻通神社(ありとおしじんじゃ)

和歌山県田辺市湊1143 湊村:紀伊続風土記(現代語訳)

日本第一の智恵の神様

蟻通神社鳥居

 地元では「御霊(ごりょう)さん」と呼ばれ親しまれている蟻通神社。湊の地主神として尊崇されてきました。

 天平神護元年(765年)鎮座と伝えられ、古くは御霊牛頭天王といわれました。文化9年(1812年)に蟻通明神社と改称し、明治元年(1868年)に神仏分離で蟻通神社と改称しました。 明治末期には愛宕山の愛宕神社、志保古の八坂神社と住吉神社、山崎の八幡神社を合祀して境内社としました。

 町中にある、面積1171平方メートルとこじんまりとした神社ですが、境内にはクスノキやイチョウやエノキなどの大木があり、蟻通神社の森は田辺市の文化財第1号に指定されています(昭和45年10月31日指定)。

大火から町を守ったクスノキ

蟻通神社霊樟

 唐破風の神門の先にあるクスノキの大木は、安政元年(1854年)に起こった大火の時に水を噴いて町を守ったとの伝説が伝えられ、霊樟(れいしょう)と呼ばれています。

蟻通神社境内

 霊樟の周りには馬の像や牛の像や鹿の像、狛犬、神社の由緒書きなどが置かれていて賑やかです。

蟻通神社霊樟

霊樟(れいしょう)

 安政元年の冬大地震のため、火災が起こり北新町から火勢が西風に煽られて湊地区に燃え移らんとした時不思議にも此の樟幹や枝から白水が噴出し同時に風の向が逆転して災厄を喰い止めることが出来たと言い伝えられ誠に霊験あらたかな神霊のよれる霊樟として当時から郷土の子々孫々に至るまで厚く尊崇されている。

 クスノキが火を消す話は闘鶏神社境内の藤巌神社前にある大クスについても伝えられています。 水を噴き出して火を消した楠:熊野の説話

日本第一智恵の神の由来

蟻通神社拝殿

 鳥居と神門は、本殿の裏手側にあり、拝殿正面へ行くには霊樟の横を進んで突き当たりを左に。

 以下、霊樟の傍らに建つ由緒書きより。

蟻通しの由来

むかしのことです。
ここ紀州田辺に外国の使者がやってきました。
その使者は『今から出す問題を解いてみよ もし解けなければ日本国を属国にしてしまう』といいました。
そして、持ってきた法螺貝を出して、その貝に一本の糸を通すことを命じました。
日本の神がみは、この難問にたいへん頭を痛めました。
その時、ひとりの若い神様が前に進み出て『私が法螺貝にその糸をその糸を通してみせましょう」といって貝の口からどんどん蜜を流し込みました。
蜜は、貝の中の複雑な穴を通り抜けて貝尻の穴へと流れ出しました。
そして、この若い神様は蟻を一匹捕らえて糸で結び貝の穴から追い込みました。
蟻は甘い蜜を追って、複雑な貝の穴を苦もなく通り抜けました。
蟻の体には糸が結ばれていますから法螺貝には完全に糸が通ったのです。
これを見た外国の使者は『日の本の国はやはり神国である』と恐れその知恵に感服して逃げ帰りました。
日本の神がみは、たいそう喜んで『我国にこれほどの賢い神があるのを知らなかった』といって、その若い神様の知恵をほめました。
そして、蟻によって貝に糸を通したことにより蟻通しの神と申し上げるようになりました 。

今では知恵の神とあがめられています。

   日本第一智恵の神
     紀州田辺湊
         蟻通神社

 日本第一の知恵の神様!

(てつ)

2009.9.3 UP
2013.7.23 更新
2020.3.28 更新

参考文献

蟻通神社へ

アクセス:JR紀伊田辺駅から徒歩5分
駐車場:駐車場はなし。近辺には有料駐車場あり

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