滝が神様で仏様、日本一の直瀑
那智大滝(なちのおおたき)。「日本の滝100選」のひとつ。「日本の音風景100選」にも選定されています。
一般に「那智の滝」といわれ、「一の滝」ともいわれるこの滝は、 落差133mの日本一の直瀑です。
滝の向かって右手には「那智原始林」と呼ばれる原生林が広がっていて、国の天然記念物に指定されています。32haというわずかな面積ですが、那智原始林は和歌山県下唯一の原生林で、とても貴重な照葉樹林の森です。
滝の落ち口の岩盤に3つの切れ目があって、3本になって滝が落ちることから那智の滝は「三筋の滝」ともいわれます。
滝の落ち口の幅は13m。
滝の落ち口には注連縄が張られていますが、この注連縄は毎年2回、7月9日と12月27日に神職の手によって張り替えられます。
那智の滝を神として祭る
熊野那智大社はこの那智の滝を神とする自然崇拝からおこった社です。
社伝には、神武天皇が熊野灘から那智の海岸「にしきうら」に上陸されたとき、那智の山に光が輝くのを見て、この那智の滝をさぐり当てられ、神としておまつりになった、とあるそうですが、神武東征以前から熊野の原住民が神としてまつっていたと考えるのが自然でしょう。
那智の滝には現在、「熊野那智大社別宮飛瀧(ひろう)神社」が鎮座し、大己貴命(おおなむじのみこと)が祭られていますが、神社とはいっても本殿も拝殿もなく、滝を直接拝む形になります。社殿がないことからもはっきりとこの大滝が御神体であることをわからせてくれます。かつての熊野の自然崇拝の有り様を今に伝えている神社のひとつです。
那智の滝は神であり仏である
神仏習合が熊野信仰の特徴のひとつですが、那智の滝に祀られた大己貴命の本地仏は千手観音だと考えられ、かつては那智の滝の岩壁には千手観音に見立てられていた岩があり(地震により崩落したそうです)、滝の近くには千手堂が建っていました。
那智の滝は神でもあり仏でもあり、そのため那智の滝は「飛瀧権現(ひろうごんげん)」と呼ばれました。権現とは仏が仮に神の姿で現われたということ。那智の滝を飛瀧権現と呼ぶのは、那智の滝が神であり仏であるということなのです。
しかし、この神仏習合の信仰形態も、明治の神仏分離によって破壊されてしまいます。那智の滝の近くにあった千手堂は廃され、飛瀧権現は仏教・修験道を廃した「飛瀧神社」となりました。
観音信仰・弥勒信仰の一大霊場
那智の滝にいたる参道脇には平安末期以降、数多くの経塚が営まれました。
経塚とは、仏法が滅んだ後の世のために、経典や仏像を地中に埋納し、弥勒菩薩が出現するという五十六億七千万年後のはるか未来にまで保存する目的で造営された仏教遺跡のことです。
大正年間に、那智の滝への参道口の左、「沽池」と呼ばれる所から発見された経塚からは、2000点ほどに及ぶ仏教遺物が出土しました。
「那智経塚」と呼ばれるそれは、平安から鎌倉、室町にわたって継続的に埋納が行われたもので、埋納品には飛鳥・白鳳時代に作られた古仏まであるという貴重なものであり、日本三大経塚(乗鞍・高野・那智)のひとつとされるほど規模の大きな経塚でした。
大正7年の第1回の発掘の出土品はほとんどすべて宮内庁所有のものとなり、東京国立博物館に保管されています。その後に行われた数度の発掘で出土されたものの一部が熊野那智大社の宝物殿にて公開されています。
経典や仏像をはるか未来に残すのにふさわしい霊地とされた那智の滝。那智は、観音信仰の霊場であるとともに、弥勒信仰の一大霊場でもあったのです。
那智の滝の水量の減少について
那智の滝の水量は那智の信仰にとってとても大切な事柄ですが、いま那智の滝は水量の減少が懸念されています。そのことについて動画で少しお話しました。3分ほどの動画です。ぜひご覧ください。
(てつ)
2003.2.1 UP
2011.4.21 更新
2011.10.3 更新
2013.7.17 更新
2019.7.24 更新
参考文献
- 小坂橋淳『紀州の滝340』紀伊民報社
- 加藤隆久 編『熊野三山信仰事典』戎光祥出版
- 梅原猛『日本の原郷 熊野』新潮社
- 中沢新一 責任編集・解題『南方熊楠コレクション5 森の思想』河出文庫
那智の滝へ
アクセス:JR紀伊勝浦駅から熊野交通バス神社お寺前駐車場行きで約30分、滝前バス停下車、徒歩3分(石段を下る)
駐車場:有料駐車場あり(場所により無料)