神武天皇に殺された熊野の女酋長の墓
丹敷戸畔(ニシキトベ)とは、『日本書紀』における神武天皇の東征の折の記述に登場する人物。
天皇はひとり、皇子の手研耳命(たぎしみみのみこと)と軍を率いて進み、熊野荒坂津(またの名を丹敷浦)に至られた。そこで丹敷戸畔(にしきとべ)という者を誅された。そのとき神が毒気を吐いて人々を萎えさせた。このため皇軍はまた振るわなかった。
登場してすぐに神武に殺されてしまう土豪の女酋長です(丹敷戸畔の「戸畔」は、女酋長のことを意味します)。詳しいことはまったくわかりません。謎の人物です。
その墓と伝わる石塔が串本町二色にあります。
国道42号線沿いのこの山の上、津波避難階段を登り切って数十m行くとあります。徒歩5分ほど。
海に向かって突き出た「戸畔の森」の内陸側のいちばん端のピークに丹敷戸畔の墓と伝わる石塔はあります。
国道を挟んだ向こうにトルコの目玉のお守りがあるので、目印になります。
(てつ)
2016.5.20 UP
2020.1.30 更新
参考文献
丹敷戸畔の墓へ
アクセス:徒歩約5分
駐車場:駐車スペースあり