明治末期に合祀されるも遥拝所として存続
碇(いかり)という集落の山上にある山寺権現伏拝。
明治末期の神社合祀で三重県熊野市神川町神上にある上山神社に合祀されましたが、遥拝所として存続している形になっています。そのため元々の社名である山寺権現から山寺権現伏拝と名称が変わりました。
車で神川町神上から神川町柳谷を経て碇へ。
碇は、現在は人が住んでいる家が2軒のみとなっている小さな集落ですが、とても美しい集落でした。
山寺権現伏拝の場所がわからなかったので、集落の方にお聞きして場所を教えていただきました。
集落の中央に流れる川にかかった橋を渡ります。4WDの軽自動車なら神社の前まで行くことができますが、徒歩でも5分ほどで行けますので、車の運転に自信のない方は無理しないほうがよいでしょう。
橋を渡って山に上がっていく所に熊野市の天然記念物のニッケイの大木があります。
4WDの軽自動車なら通行可能な山道。
曲線を描く石垣が優美でした。
山寺権現伏拝には、「山大神」が祀られ、「山寺権現遙拝所」の碑が建っています。
現在、社殿はなく、建物は社務所があるのみ。
合祀先の上山神社の由緒書には、山寺権現社について以下のように書かれています。
氏神と同時に、最初碇谷に勧請されたが、その後今の地に遷座、境内六十五間に五十五間 本社六尺四方、拝殿、鳥居あり、明治四十年の合祀で上山神社の一座となった。
昔は神仏混合で、観音が本地仏であったため山寺権現とよばれ、明治初年までは山上女人結界で申の時(午后四時―五時)をすぎると参詣ができなかった。新宮神倉さんのようなものだったという。
祭日は十月晦日だったので、北山川を下る筏士たちは、毎月晦日には近くの獺戸(おそど)滝で筏を下さず、また筏のりの組から一日に十二銭づつの初穂をあげる習わしであった。
嶺泉寺が別当寺であったことは氏神と同じである。
とても美しい場所でした。
(てつ)
2009.10.20 UP
2020.8.31 更新
参考文献
- 碇(いかり)の夢 碇出身の方のブログ
山寺権現伏拝へ
(だいたいこの辺りだと思います)
アクセス:JR熊野市駅から車で40分くらいで碇の集落へ。そこから山道を徒歩5分。
駐車場:駐車場なし