後白河法皇創建、頭痛山平癒寺
紀和町楊枝の熊野川岸に建つ楊枝薬師堂。
楊枝薬師は頭の病気に霊験があるとされ、お堂の扉には穴の開いた石やヘアブラシなどが吊り下げられていました。
熊野にある楊枝薬師堂ですが、その由来には京都東山の三十三間堂が関連します。
楊枝薬師堂の由来
二条天皇の御代、後白河上皇が頭痛に悩まされていた。
そこで、自ら都の因幡堂に籠り、頭痛平癒を祈願したところ、ある夜、金色の御仏が現われ、お告げをした。
「私は薬師如来である。熊野川のほとりに高さ数十丈(1丈は約3m)の柳の大樹がある。その柳を伐って都に大伽藍を建立し、我が像を彫って祀れば頭痛はたちどころに平癒するだろう」
後白河上皇は大喜び、さっそくその柳を伐らせたが、あまりに長くて大きいので、動かすことができなかった。困り果てていたところ、水中から天女が現われ、神力で軽々と都まで運ぶことができた。その天女とは柳の精「おりゅう」のことである。
後白河上皇はその柳を棟木に使って長寛2年(1164)に大伽藍を建立した。蓮華王院、俗にいう三十三間堂である。
頭痛が平癒した後白河上皇は、大喜びし、熊野楊枝の郷の柳の伐り跡の上にも七堂伽藍八房十二院の大寺を建て、柳の枝で自ら彫った薬師如来を安置し、仁安2年9月11日、後白河上皇は出家して法皇となり、自ら大導師となって自作の薬師如来の開眼供養をし、「頭痛山平癒寺」と名付けた。
その後、幾度かの火災や水害にのために七堂伽藍八房十二院は失われ、現在は楊枝薬師堂の一宇があるのみであるが、本尊の薬師如来は創建当時のものを伝えている。
お柳(おりゅう)の物語
熊野の楊枝の郷の三十三間堂の棟木の伝説は、後にさまざまに脚色され、美しくも悲しい物語として語られるようになりました。
悪人達の讒言により命を落とした横曾根光当(よこそねみつまさ)の子、平太郎は、母とともに京から熊野の楊枝の里に落ちのび、二人、侘びしい暮らしを続けていた。
楊枝の里の柳の巨樹の下で騒ぎが起こった。狩りに来た武士の放った鷹が柳の高い梢に足緒をからめて動けなくなってしまったのである。主の武士は、家来に命じて助けようとしたが、その柳の木は あまりにも高く、誰にも登ることができない。主は怒って、その柳の木を伐ってしまうよう命じた。
そんなとき、平太郎がそこを通りかかった。平太郎は武士から弓矢を借りると、梢めがけて射放った。矢は枝にからまっている 足緒に見事、命中。鷹は無事に柳の枝から逃れることができ、柳の木も伐れられずに済んだ。
その数日後、平太郎は柳の巨樹の下で一人の美しい娘に出会う。娘の名はお柳(おりゅう)。やがて二人は夫婦となる。二人の間には男の子が生まれ、緑丸(みどりまる)と名付けられる。平太郎は、美しい妻と愛らしい子、そして老母との4人で、貧しいけれども、幸せな日々を送った。
それから何年かのちのこと。後白河法皇の発願で京に三十三間堂を建てることになり、その棟木に楊枝の里の柳の巨樹が使われることになった。
柳の木が伐られる当日の早朝、夜が白みはじめたころ、まだ平太郎も老母も緑丸も眠っており、起きているのはお柳だけであった。お柳は、突然の激痛に呻いた。
お柳は、平太郎に命を救われたその柳の巨樹の精であったのだ。
お柳は、我が身に打ち込まれる斧の激痛に呻き、よろめきながら、眠っている平太郎や緑丸らに我が身の上を語り、別れを告げた。
夢うつつにお柳の末期の声を聞いた平太郎と老母は、すぐに目覚め、お柳のあとを追おうとしたが、路上には柳の葉が舞い散っているばかりである。緑丸は母の姿を求めて泣く。柳の巨樹は伐り倒されてしまった。
柳の木は新宮の浜まで運ばれることになった。ところが、平太郎の家の前まで来たとき、動きが止まってしまう。大勢の人がどんなに力一杯、押しても引いても、柳の木は全く動かない。
そのとき、緑丸を連れた平太郎がやってきて、お柳の次第を役人に打ち明ける。この柳の木が自分の妻で、緑丸の母親であること、母子の情断ち切り難く、別れを惜しんでいること。
平太郎は、緑丸に音度を取らせて、自分達に木を引かせてもらえるように申し出た。緑丸を柳の木にまたがせ、音頭を取らせて引くと、今までビクともしなかった柳の木は緑丸を乗せて滑るように進んだ。
こうして、平太郎・緑丸の親子の手により、柳の木は無事に運ばれ、三十三間堂も立派に完成したが、お柳に先立たれた夫は、出家し、それからの人生をお柳の供養に捧げたのであった。
お柳と平太郎の墓
楊枝薬師堂の境内には、お柳と平太郎の墓が並んで建てられています(向かって左手がお柳の墓)。
人間と人間以外のものとの結婚生活を語る物語のたいがいが悲しい結末を迎えますが、この物語もそう。
動物との結婚は、動物の側が人間にその本当の姿を見られてしまうことにより破綻してしまうことが多いようですが、植物との結婚は、植物が枯れてしまう、あるいは、伐られてしまうことにより悲劇を迎えてしまうことが多いようです。
(てつ)
2003.4.28 UP
2020.3.14 更新
参考文献
- 駒敏郎・花岡大学『日本の伝説32 伊勢・志摩の伝説』角川書店
- 中村浩・神坂次郎・松原右樹『日本の伝説39 紀州の伝説』角川書店
楊枝薬師堂へ
アクセス:JR新宮駅から熊野交通バスなどで約50分、楊枝口下車、徒歩約1時間(?)
駐車場:駐車スペースあり