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熊野の森を風景写真でご紹介します。 Photo Gallery 2002.5.8 開設 秋 vol.2---2004.12.7 UP |
改めてご挨拶
現在は杉檜の植林地ばかりが目につく熊野の山々ですが、熊野のもともとの植生は照葉樹林でした。照葉樹林が全域に広がり、その中に落葉広葉樹やら常緑針葉樹やらが混在するという複雑で多様性に満ちた森が熊野の森でした。
照葉樹林はシイやカシなどの常緑樹から構成される森林で、それらの常緑樹はテカテカと光る葉をもつことから照葉樹と呼ばれます。
照葉樹林の林内は、その照る葉に光を遮られ、鬱蒼として暗く、ジメジメしています。今となっては信じられないことですが、かつては、熊野だけでなく、西日本一帯がこの照葉樹林に覆われていました。
照葉樹林は人が生活するには暮らしにくく、私達の祖先は照葉樹を伐り開くことにより、明るく開け、乾燥した、暮らしやすい生活空間を手に入れてきたのです。
日本人は照葉樹林を伐り開くことによりその生息域を拡大していきました。
そのため、現在では、照葉樹林は神社の境内林にわずかな面積、残されているのを見ることができるくらいです。
現在、照葉樹林がある程度まとまった面積で残されているところはほとんどありません。
かつては西日本の全域を覆っていた照葉樹林ですが、現在、ある程度まとまった面積で残されているのは、屋久島や沖縄や九州の一部。そして、本州ではただ1ケ所、熊野の本宮町にあるだけなのです。熊野ではわずか40年程前まで広大な面積の照葉樹林が残されていました。
本宮町の南に位置し、本宮町と古座川町にまたがる熊野地域最高峰の大塔山。この大塔山を中心とする大塔山系がその貴重な照葉樹林が残されていた場所でした。
大塔山系は、温暖多雨(年平均気温12〜14℃、年間降雨量4000mm以上)、複雑な地形という自然条件により、極めて多様な生物が生息していました。
大塔山系は、主峰の大塔山でも標高1122m。たかだか1000m程度の山々に亜熱帯から亜寒帯までの植物や昆虫が生息するというとてもユニークな山塊でした。
たかだか1000mの山に高山植物までもが生息し、暖地性のアカガシより低い場所まで寒地性のブナが生え、海岸性のウバメガシが山深くにまで入り込み、亜熱帯性の昆虫やら氷河期の生き残りとされる昆虫やらが生息し、複雑な生態系を形作っていました。しかし、1960年代に始まる伐採により、大塔山系の照葉樹林のほとんどが破壊され、スギ・ヒノキの人工林に置き換えられてしまいました。(T-T)
本宮町内の大塔山系の野竹法師(のだけぼし、標高970m)の南面の黒蔵谷(くろぞうだに)及び大杉大小屋谷(おおすぎおおごやだに)というところにわずかに残された照葉樹林ですが、それでも照葉樹林としては本州最大の面積であり、近年、林野庁指定の「森林生物遺伝資源保存林」として保護されることになりました。
「森林生物遺伝資源保存林」とは、森林生態系を構成する生物の遺伝資源を、将来の バイオテクノロジー分野など先端技術の進歩と生物の新たな用途開発に備えるため、 自然な生態系を抱えた森林を、そのまま、永久に保存しようというものです。
「森林生物遺伝資源保存林」として指定される森林は、全国に13ケ所しかないそうです。
森林生物遺伝資源保存林に指定されるには、原則として1000ha程度以上の面積があることを目安とするそうですが、黒蔵谷はわずか520ha。
しかもそのほとんどが、明治の末期に伐採されているため、二次林となっています。
その程度の面積であり、しかも極層林でもないのに関わらず、選定されたのは、もちろん、他にこれだけの照葉樹林がないからでしょう。それだけ貴重な森林が奥熊野・本宮町にはあるのです。複雑多様で渾沌とした熊野の本来の森を風景写真を通してご紹介したいと思います。
それではごゆっくりとご覧ください。(てつ)