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一遍上人にまつわる話

熊野に伝わる一遍上人のお話

一遍上人の熊野成道

一遍上人神勅名号碑

 のちに時衆の開祖となる一遍上人
 一遍上人は出会う人々に念仏札を与えながら熊野へと向かっていた。一人の僧に「一念の信を起こして南無阿弥陀仏と唱えて、この札をお受けなさい」と念仏札を渡そうとしたが、「いま一念の信心が起こらない。受ければ、嘘になってしまう」と拒否される。一遍は不本意ながらも「信心が起こらなくても受けなされ」と強引に僧に念仏札を渡した。
 今後、またこのようなことが起きたら、どうしたらよいのか。今まで自分が行ってきた布教の仕方は間違っていたのか。一遍は歩きながら、悩み、煩悶した。

 本宮に着いた一遍は、本宮証誠殿の前で熊野権現の神慮を仰ごうと通夜する。夢うつつに一遍の前に白髪の山伏が現われる。一遍は白髪の山伏が熊野権現であることを直観した。白髪の山伏は一遍に告げる。
 「融通念仏を勧める僧よ。どうして悪い念仏の勧め方をされるのか。御坊の勧めによって、一切衆生ははじめて往生するわけではない。阿弥陀仏が十劫の昔に悟りを開かれたそのときに、一切衆生の往生は阿弥陀仏によってすでに決定されていることである。信不信を選ばず、浄不浄を嫌わず、その札を配らなければならない」

 このときから真の一遍の念仏が始まり、一遍は時衆の開祖となる。一遍自ら「我が法門は熊野権現夢想の口伝なり」と語っており、そのため、この本宮での出来事のことを時衆では「熊野成道(成道とは宗教的な覚醒のこと)」という。

湯の峰温泉の一遍上人名号碑

 湯の峰温泉には、熊野古道「赤木越え(湯の峰と三越峠(みこしとうげ)を結ぶ。紀三井寺に向かう西国三十三所巡礼の道)」の登り口のそばに一遍上人が爪書きしたと伝えられる磨崖名号碑(伝一遍上人名号碑)がある。

熊野古道「赤木越え」にある「鍋破」という地名の由来

 湯の峰に爪書きの名号を残したのち、一遍上人は「赤木越え」を歩くことになった。弟子が先に赤木越えの峠で上人を待ちながらご飯を炊いていると、ご飯が炊きあがらないうちに鍋の水がなくなっているのに気づき、慌てて水を汲みに行って帰ってきたら、鍋が割れて米も黒焦げになっていた。そこに後から発った一遍上人が追いつき、これも如来が与えたもうた試練かと、何も食べずに再び歩き始めた。このことからこの辺りは鍋破(なべわり)と呼ばれるようになった。

鍋破地蔵

鍋破には鍋破地蔵という石仏がある。

熊野古道「赤木越え」にある「献上(けんじょう)」という地名の由来

 いま「献上」と呼ばれる場所には一軒の茶屋があった。一遍上人たちが通り過ぎようとするのを、茶屋の主人が引き止め、「お代は要らないから」と、茶屋へ上げ、もてなした。
 上人が「この愚僧にこのようなもてなしをされてはもったいない」と言うと、「私共は修業のお坊様に献上するのを一番の楽しみとしています。それゆえに御仏の加護をいただき、このように家は繁昌、家内安全に送らせていただいているのです」との主人の言葉。上人は俗人に身をもって教えられていることを悟った。
 「お坊様はどこへ参られるのですか」と主人が尋ねると、上人は「我等は相模の国藤沢山浄光寺(現・時宗総本山の清浄光寺(しょうじょうこうじ)。遊行寺(ゆぎょうじ)とも。神奈川県藤沢市)の愚僧です」と名乗った。
 それで世の人は、名高い一遍上人に献上したということで、この家の家号と地名を「献上(けんじょう)」と名づけ、その家はその後も長く続いているという。

一遍上人について詳しくは熊野の説話の「一遍上人、熊野成道」をご覧ください。

一遍上人ファンサイト

(てつ)

2005.3.20 UP
2022.7.18 更新

参考文献