熊野へ向かう途中に父の死を悟り、京に引き返し
『扶桑略記』より(『新訂増補国史大系』)。
延喜十八年(918)十月二十六日、参議三善清行(みよし の きよゆき/きよつら:平安時代前期の公卿)が亡くなった。その子で修験者であった浄蔵は熊野へ向かう途中に父の死を悟り、京に引き返した。
死後五日が経ち、京に着いた浄蔵が加持したところ、父清行が棺中より蘇生し、浄蔵を礼拝した。
再び清行は七日後に他界したが、西に向かって念仏してなくなり、火葬してもその舌は焼けなかった。
(てつ)
2005.8.5 UP
2022.7.18 更新
参考文献
- 『本宮町史 文化財編・古代中世史料編』
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