み熊野ねっと 熊野の深みへ

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安珍・清姫の物語

もっとも有名であろう熊野詣の物語

 熊野詣にまつわるお話でもっとも有名であろう物語が、安珍・清姫の物語です。
 その原話と思われるお話が『大日本国法華験記』や『今昔物語集』に収められています。
 『今昔物語集』巻第十四第三からこのお話を紹介します。安珍という名も清姫という名も出てきませんが、それは次のようなお話です。

今は昔

 今は昔、熊野に参る二人の僧がいた。一人は老人で、もう一人は若い美男子であった。牟婁の郡まで行って、とある人の家に二人とも宿をとった。
 その家の主人はまだ年若い後家であった。女の従者が二・三人いる。この女主人は若い僧の美しいのを見て、ていねいに世話し、もてなしたが、夜になって、僧たちがすでに寝てしまってから、深夜に、女主人は密かにこの若い僧の寝ている所に這って行って、僧の横に寝た。

 僧は驚いて覚める。僧に女は言う。  
「我が家は一度も人を泊めたことがありません。しかし、今夜あなたをお泊めしたのは、昼、あなたを見たときから夫にしようと思い定めていたからです。だからあなたをお泊めして、本来の目的を遂げようとこうして近づいて来たのです。私は夫を亡くして寡婦です。あわれと思ってください」

 僧はこれを聞いてたいへん驚き恐れて、
 「わたしには宿願があり、日ごろ心身精進して遥かな道を熊野権現にお詣りに行くところ、ここで願を破るのは互いに恐れがあるでしょう。こんなことはやめてください」
 と断わった。

 女は恨みに思い、終夜、僧を抱いて乱れ騒ぎ、戯れるも、様々な言葉でなだめすかし、
「熊野に参ったその帰りにならあなたのおっしゃるようにしましょう」
 と約束した。
 女は約束に安心して自分の部屋に帰った。夜が明け、僧たちはこの家を発ち、熊野詣の旅を続けた。

 女は約束の日を心待ちに待っていたが、僧は女を恐れて他の道を通って逃げてしまった。女は僧の来るのを待ちわびて、街道に出て旅人に尋ねていると、熊野から来た僧がいて、その僧に聞いてみると、
 「その二人の僧ならもう二・三日前に帰っていった」とのこと。
 女はこれを聞き、怒り、家に帰って寝所に閉じこもった。物音ひとつしなかったが、しばらくして女は死んでいた。
 従女たちはこれを見て泣き悲しんでいたが、たちまち、五尋(ひろ。両手を左右いっぱいに伸ばした長さ)もある毒蛇が寝所から出て来た。熊野街道を僧を追って走っていく。

 人づてに大蛇のことを聞いた二人。さては女主人が悪心を起こして毒蛇となって追ってくるのだろうと走り逃げ、道成寺という寺に逃げ込んだ。
 道成寺の僧たちは二人の僧から事情を聞き、二人をかくまうことにする。鐘を取り下ろしてそのなかに若い僧を隠し、寺の門を閉じた。

 しばらくして大蛇がこの寺にまで追ってきて、閉じた門も難なく越え、なかに入ってきて、鐘楼のまわりを一・二度回り、入り口の戸のもとに行って、尾で扉を叩くこと百度ばかり。とうとう扉を叩き破って、中に入った。鐘を巻いて尾で竜頭(りゅうず。鐘のつりて)を叩くこと二時三時ばかり。

 道成寺の僧たちは恐れながらも、中でどうなっているのか怪んで、鐘楼の四面の開いて、中を見てみると、毒蛇は両の目から血の涙を流して、頚を持ち上げ、舌舐めずりをして、もと来た方に走り去っていった。
 大鐘は蛇の毒熱の気に焼かれ、炎が燃え盛っている。水をかけて冷やして、鐘を取り除けて僧を見ると、僧はみな焼け失せて、骨さえも残っていない。わずかに灰ばかりあるだけである。老僧はこれを見て泣き悲しんで帰って行った。

 その後、道成寺の上席の老僧の夢に、前の蛇よりも大きな大蛇が現れ、
 「私は鐘の中に閉じ込められた僧です。悪女が毒蛇となって、ついにその毒蛇の為に捕らわれて、その夫となりました。ぶざまで穢い身を受けて、無量の苦を受けています。聖人の広大の恩徳にすがって、この苦しみを離れたいのです。どうか法華経の如来寿量品を書写してわれら二匹の蛇のために供養をほどこして、この苦しみからわれらをお救いください」
 老僧にこう言って帰っていった。と見て、夢から覚めた。

 老僧は蛇の言う通り、法華経の如来寿量品を書写して供養した。その後、老僧の夢に一人の僧と一人の女が現われ、二人とも笑みを含んだ喜ばし気な顔つきで道成寺に来て老僧を礼拝して言った。
 「あなたの清浄 われら二人、蛇身を捨てて善所に赴くことができました。女はトウ利天に生まれ、僧は都率天(とそつてん)に昇ることができました」
 このように告げ終わると、二人はおのおの別れて空に昇った。と見て、夢から覚めた。老僧は喜び泣いて、いよいよ法華の威力を尊んだ。

 法華経の物語から悲恋の物語へ

 このように、安珍・清姫の物語は、もともとは法華経の力を喧伝するためのお話でした。それが、のちのち悲恋物語としての要素が強くなっていき、いま知られているような形になったのでしょう。

 元々のお話では女性は若後家でしたが、悲恋物語となっていく過程のなかでヒロインは年若い娘となりました。清姫が年若い娘なのと若後家なのとではだいぶ物語の印象が異なってきます。

 清姫は和歌山県西牟婁郡中辺路(なかへち)町の真砂(まなご)の里の庄司の娘ということで、真砂の里には清姫の墓と伝えられる石塔が残されています。ちなみに安珍は奥州白河の僧ということです。
 真砂の里の人の話では、清姫は安珍に騙されたことを知ると、あとを追うこともなく、富田川の淵に身を投げて死んだと語られます。

(てつ)

参考文献