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熊野先達、人妻のもとに通うこと

熊野先達が登場するお話

  鎌倉時代の高僧、無住(1226~1322)が著した仏教説話集『沙石集(しゃせきしゅう)』に熊野先達(くまのせんだつ)が登場するお話があります(巻第五末 三)。熊野先達とは熊野詣の案内役をする僧のことで、道中の儀礼や作法の指導も熊野先達が行いました。

万葉カゝリノ歌読ミタル事(一部現代語訳)

 そう遠くはない昔、常州に高観坊という山伏がいた。近隣に藤追(とうつい)という百姓がいて、その妻のもとに高観坊が山伏の跡継を作ろうと思ったのだろうか、通っていた。
 忍んでいたけれども、このことが漏れ聞こえて、夫は口惜しく思っていたが、熊野の先達などをする名人であったので、恥がましいことを与えるのも穏便ではないと思って、高観坊が熊野へ詣でたとき、難のある場所は去るのが一番と思って、奥州の千福(せんぷく:秋田県仙北郡仙北町)という所に縁ある者を尋ねて、ひそかに夫婦で下った。

 高観坊が下向の後、すぐにあの家に行ってみると、逃亡していて人はいない。近隣の者に問うても、もとより行方を隠していたので、知る人はいない。
 なにということなく寝室のそばにたたずんで見ていると、柱に妻の文字でこう書き付けてあった。

恋しくばとうてもわせよ高観坊 千福にあるぞ藤四郎のもとに

(訳)恋しければ問うてでもおいでなさい。高観坊。千福にいる藤四郎のもとに。

 こう書いてあるのを見て、しみじみと思われたので、必ずしも妻が見るはずはないだろうけれど、志のゆくところを、妻への返事と思ってこのように柱に書き付けた。

いでてゆかば かくともいはでうたてやな 藤追の女房の 千福の藤四郎の許も 我がしらばこそあらめ

(訳)出ていかれると、こう言うまでもないが、辛いことだ。藤追の女房のいる千福の藤四郎の家を私が知っているならば、訪ねることだろう。

 志だけは並々でないが、歌の姿は五七五七七の形を離れ、じつに優美でない。ただし万葉の歌のなかには、必ずしも三十一字でないものもある。ただ思いを述べれば、それで歌になるのではないか。

 (以下略、現代語訳終了)

先達と檀那

 日本各地の人々の熊野への参詣は、おおむね近隣に住む先達に案内指導されて行われたようです。
 先達によって熊野に案内される信者を檀那といい、先達と檀那の関係は師弟関係のようなものですが、その関係は熊野詣のときだけでなく、日常の場面でも続きました。
 ですから、この話のようなことが起こったのですね。

(てつ)

2005.8.15 UP
2020.8.7 更新

参考文献