熊野に伝わるオオカミの話
狼(オオカミ)に関連するお話をピックアップ。
- 滝尻王子、藤原秀衡の子捨て
- 小広峠、千匹狼
- 肉吸い
- 一本ダタラ
- 狼の御魂をお祀りした神社 - そま日記
- 女僧と狼(那須晴次『伝説の熊野』) - み熊野ねっと分館
- 山神オコゼ魚を好むと云う事(現代語訳) - 南方熊楠のキャラメル箱
- 狼を山神という(「紀州俗伝」現代語訳) - 南方熊楠のキャラメル箱
オオカミについて
古来、日本ではオオカミは特別な動物として敬われてきましたが、熊野ではオオカミを山の神と呼び、また神様のお使いともしました。
西牟婁郡二川村五村等で、狩人の山詞に、狼をお客さま、また山の神、兎を神子供と言う。狼罠に捕わるると、殺すどころでなく扶けて去らしむ。
(南方熊楠「紀州俗伝」『南方熊楠全集』第2巻、平凡社)
熊野参詣道・中辺路が通る小広峠の周囲の山々には、かつてオオカミが棲んでいたと伝えられます。
……すすきの穂一本あれば身をかくすといわれ、神速と敏捷で知られる狼は「山の神さん」と呼ばれ、この付近に群生し、熊野詣の人々や村人たちを、野獣の危険から護ってくれると伝えられていた。
昔は、この峠のまわりの山々で、夜中にいっせいに狼の吼えたてることがあり、里人は千匹狼と呼んだが、これは山の神さん(狼のこと)が吉野の山上ヶ岳へまいるために、勢揃いしているのだという。
小広峠は、もとは「吼比狼」峠であったが、いつのまにか「小広」になってしまったともいわれ、以前は峠の西側の谷には「吼比狼橋」と書く土橋があった。
(熊野路編さん委員会編『くまの文庫② 熊野中辺路 伝説(上)』熊野中辺路刊行会)
オオカミは人を襲うというようなイメージがありますが、実際にはオオカミが人の死体を食べることはあっても、生きている人を襲って食べるということは滅多になかったようで、野生のオオカミが人を捕食したというような話は熊野では伝えられていないようです。
オオカミは人を補食できるだけの能力を充分に持っているように思いますが、生きている人を獲物だとは考えていないようです。また次に引用するオオカミに関する伝承のように、人の側がオオカミに襲われないように注意もしていたのでしょう。
オオカミの説話は各地にそれぞれの形で伝わっており、しかもさまざまであり、一定していないが大体一般的なものを拾ってみると、
……
▽山で猪や鹿の死体を拾ってはいけない。オオカミが自分で取ったえものだから近くで番をしている。持って帰れば必ずしかえしがある。是非ほしいときはその肉を少し切りとり塩をそばへおいておけば仕返しはないというはなし。
……
▽山道で転んでも決してベソをかいたり、うめき声を出してはいけない。そんなときは、ひと休みしようかと大声で言い、自分の弱みをみせないことだと言われた。
▽オオカミの群におそわれたときは山刀などを振りまわしてもなににもならない。ゆっくりその場にすわり山刀を頭の上にかざす。オオカミは咬みつく前には必ず人間の頭の上を三回ばかり飛び越す。そのときかざした山刀は自然とオオカミの腹を刺す。彼らは仲間の血で逆上し仲間同士の格闘となるらしい、とのこと。
……(「狼の十訓さまざま」中辺路町誌編さん委員会編『中辺路町誌』下巻、中辺路町)
田畑を荒らすシカやイノシシを捕食するオオカミは農耕を主とした日本人にとっては益獣であったはずですが、明治政府はオオカミを絶滅に追いやるまでに駆除を推し進めました。
日本でオオカミが絶滅したのはいつ頃なのかはっきりとはわかりませんが、明治時代末という説が有力です。日本でオオカミが絶滅しておよそ100年が過ぎた今、増えすぎたシカによる森林の植生の破壊、生態系の荒廃が深刻な問題となっています。
シカは強力な消化能力を持つ草食動物です。森林の下層に生える草や低木、樹木の芽生えを食べ、シカが食べない種類の植物だけが下層に残されます。樹木の芽生えが食べ尽くされれば次世代の樹木が育たず、森林の世代交替、森林の更新が阻害されます。シカの頭数を適正なレベルにまで減らせられなければ、いずれ日本の各地で森林が消失するという事態が招かれることとなるのでしょう。
オオカミは、人間を除くと、唯一のシカを捕食する動物でした。オオカミは食物連鎖の頂点に位置する頂点捕食者であり、日本の生態系に大きな影響を与えるかけがえのない肉食動物でした。オオカミの絶滅は日本の自然生態系に破壊的な影響を及ぼしました。
また、ニホンオオカミの絶滅は悲しむべきことですが、オオカミの絶滅とともにオオカミにまつわる信仰や文化が失われてしまったのも悲しいことです。
かつての日本にはキツネやタヌキに化かされるという文化があり、オオカミに守ってもらうという文化もありました。キツネやタヌキは絶滅していないので、その化かされる文化はまだかすかに痕跡を残しているようにも思えますが、オオカミは絶滅してしまったので、オオカミに守ってもらう文化は完全に失われてしまったように思います。
オオカミは明治政府が作る新しい時代には不要なものであり、その生存は許されず、絶滅させられましたが、いま再びオオカミと人とが共生する社会が求められているように思います。ニホンオオカミは日本の固有種ではなく、大陸のハイイロオオカミと同一種であり、大陸からオオカミを日本に再導入することが可能です。
ヨーロッパやアメリカではオオカミの再導入が行われ、オオカミの群れを回復することに成功しました。キリスト教世界ではオオカミは邪悪な害獣であり、悪の権化、悪や闇の象徴であり、キリスト教徒の敵でした。オオカミへの嫌悪があったキリスト教世界の国々でオオカミの再導入を行えたことを思えば、日本でのオオカミの再導入ははるかに容易に行えることだと思います。
神とされ、神の使いとされたオオカミの復活は、日本人が自然とのつながりを結び直すうえで非常に重要な取り組みになります。
今もこの辺に送り狼とて、人を害せず、守衛せし狼の古話残り、大台原山に、神使の狼現存すという。
(南方熊楠「小児と魔除」『南方熊楠全集』第2巻、平凡社)
日本でオオカミの再導入が実現すれば、いずれ熊野詣の旅人を守護するオオカミの群れが復活するときも来るかもしれません。またオオカミをお使いとする神様たちもオオカミの復活を待ち望んでいることでしょう。
(てつ)
2013.10.23 UP
2020.5.30 更新
2020.5.30 更新
2024.3.29 更新
参考文献
- 『南方熊楠全集』第2巻、平凡社
- 熊野路編さん委員会編『くまの文庫② 熊野中辺路 伝説(上)』熊野中辺路刊行会
- 中辺路町誌編さん委員会編『中辺路町誌』下巻、中辺路町
- 丸山-直樹『オオカミが日本を救う-生態系での役割と復活の必要性』白水社