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比叡山の僧長円が得た法華経の霊験

大峰奥駈修行

 「大峰奥駈、順峯」で奥駈に関する部分のみを紹介した比叡山の僧、長円(ちょうえん。伝未詳)の説話(『大日本国法華経験記』下 第九十二、『今昔物語集』巻第十三、第二十一「比叡山僧長円、誦法花施霊験語」)。
 熊野に関連するのは、すでに紹介した箇所だけですが、せっかくですので、ここでは全文現代語訳してご紹介します。

比叡の山の僧・長円、法華を誦して霊験を施すこと(現代語訳)

 今となっては昔のことだが、比叡山に長円という僧がいた。もと筑紫の人である。幼くして本の国を出て、比叡山に登って出家して、法華経を受け習って、日夜、読誦する。また、不動尊に仕えて苦行を修める。

 葛城の峰に入って、食を断って二十七日間、法華経を誦する。夢に「八人の童子がいた。三鈷杵(さんこしょ)・五鈷杵(ごこしょ)・鈴杵(れいしょ)などを身に付け、各々掌を合わせて長円を讃えて言った。『奉仕修行者 猶如薄伽録 得上三摩地 与諸菩薩倶(※出典未詳。薄伽録をどう取るかによって意味は二つに分かれる。1.修行者に奉仕する者は、薄伽録のように、たとえ身分が卑しくとも、無上の禅定を得ることは、諸々の菩薩と同等であろう。2.奉仕する修行者は、あたかも仏と同じであって、無上の禅定を得ることは、諸々の菩薩と同等であろう。)と誦して、法華経を誦するのを聞く」と見て、夢から覚めた。であるので、限りなく貴んだ。

 また河の水が凍り塞がって、深い所も浅い所もわからないので渡ることはできなかった。であるので、嘆いて一人岸の上に座っていたところ、突然、大きな牛が深い山の奥から出てきて、この河を幾度も渡った。このように渡り帰るうちに、氷が破れて開いた。その後、牛はかき消すように失せた。そうして長円は河を渡った。「これは護法が牛と化してお示しになったのだ」と知った。 

 また、熊野から大峰に入って金峰山に出ようとして、深い山に迷い、前後もわからなくなった。けれども、心を尽くして法華経を読誦して、このことを起請すると、「一人の童子が来て『天諸童子 以為給仕』と告げて、道を教えてくれる」という夢を見て覚めた。そのため道がわかって金峰山に出た。

 また、蔵王の宝前で終夜、法華経を誦すると、暁になって、長円は夢に、
 「一人の人が来た。その姿を見ると、宿老の俗である。きわめて気高くて、この国の人とは違う。『これはきっと神であろう』と見える。
 この人は名符(みょうぶ:貴人・長上・師匠に初めて接するときに呈上した名札)を捧げて長円に与えて『私は五台山の文殊の眷属である。名を于闐王(うでんおう)という。師の法華を誦する功徳ははなはだ深いので結縁のために私は名符を奉る。現世と来世とを護り助けよ」と言う」と見て、夢から覚めた。であるので、長円は泣きながら法華の威験を限りなく貴んだ。

 また、清水寺に参って、終日法華経を誦すると、夢に、
 「端正で美麗な女人で、きわめて気高い身を玄妙に荘厳に飾った者が、長円に向かって掌を合わせて誦して『三昧宝螺声 遍至三千界 一乗妙法音 聴更無飽期』(※出典未詳。三昧に入っている者は宝螺の響く声が全宇宙にあまねく及んでいるのを聞き、法華経の妙なる法音は幾度聞いても少しも飽きる時はない)と言う」と見て、夢から覚めた。

 このような不思議なしるしは多いけれども、いちいち記すことは難しい。まことに法華の力、不動明王の霊験はあらたかである。
 長久(ちょうきゅう:後朱雀天皇の代。1040~1044)年間のころに亡くなったと語り伝えるとか。

 (現代語訳終了)

三鈷杵・五鈷杵・鈴杵

 三鈷杵・五鈷杵・鈴杵は密教の法具。金剛杵(こんごうしょ)と総称されるこれらの密教法具は、密教の修行者にとって己れの思想の全体と強固な意思を象徴する大切な修行の道具で、これはもともとインドの神インドラの武器である雷撃ヴァジュラをかたどったものです。
 インドラは、インド最古の讃歌集『リグ・ヴェーダ』で、その4分の1にも及ぶ讃歌を捧げられている偉大な神さまです。ソーマ酒を飲み、稲妻を武器に暴れまわる武勇神で、戦士階級クシャトリアの神だとも考えられていました。

 金剛杵は精神の武器です。密教の修行者は金剛杵を身につけることにより、自分が何を行おうとしているのか、何を目指しているのかを、 はっきりと意識します。
 密教の修行者は幾重にも層をなす複雑な人間のたましいというものの奥底に踏み込んでいく。精神の武器である金剛杵を深々とたましいの奥底に突き立てて、たましいの内奥に分け入っていく。
 密教の修行者は、金剛杵を武器として、いや己れが金剛杵そのものとなることによって、人間の意識の表層を突き破り、たましいの内奥に踏み入って、たましいの探求を行うのです。

山林修行の地

 熊野(および大峰)は、上皇による熊野御幸が行われる以前は、各地からの修行者たちが集まる山林修行の地として知られていました。熊野・大峰で霊験を感得した修行者の話は数多く残されています。 

(てつ)

2005.7.31 UP
2005.9.6 更新
2020.9.6 更新

参考文献