風雅和歌集の熊野関連の歌
『風雅和歌集』は室町前期に編纂された第17番目の勅撰和歌集です。
花園院の監修で、光厳院の親撰。貞和五年(1349)ごろ成立しました。
『風雅和歌集』二十巻2200余首のうちに、歌の本文や詞書、左注まで含めて4首、「熊野」が登場する歌があります。
1.建礼門院右京大夫の歌 巻第十七 雑歌下 2006(旧1996)
左近中将維盛、熊野浦にてうせにけるよしききてよみ侍りける/建礼門院右京大夫
かなしくもかかるうきめをみくまののうらわの浪に身をしづめける
(訳)悲しくもこのような憂き目を見て、み熊野の海岸の波に身を沈めたのだなあ。
2.後白河院の歌 第十九 神祇歌 2108(旧2098)
有漏よりも無漏に入りぬるみちなれば 是ぞ仏のみもとなるべき
此歌は、後白川院熊野の御幸卅三度になりけるとき、みもとといふ所にてつげ申させたまひけるとなん
(訳)有漏(うろ。煩悩のある状態)から無漏(むろ。煩悩のない境地)に入る道であるので、こここそ仏の身許であるにちがいない。
3.熊野権現の歌 第十九 神祇歌 2109(旧2099)
もとよりも塵にまじはる神なれば 月のさはりもなにかくるしき
是は、和泉式部熊野へまうでたりけるに、さはりにて奉幣かなはざりけるに、はれやらぬ身のうきくものたなびきて月のさはりとなるぞかなしき、とよみてねたりける夜の夢に、つげさせ給ひけるとなむ
(訳)もとより俗塵に交じっている神であるので、生理中でも気にすることはありません。いらっしゃい。
和泉式部が熊野に詣でたときに生理になってお参りできずに「こんなときに生理になって悲しい」と歌に詠んで寝た夜の夢のなかで熊野権現が返した歌。
かつては女性の生理は不浄なものとされ、生理中の女性は神域への立ち入りを禁じられた。
4.源有長 第十九 神祇歌 2150(旧2140)
熊野にまうでて、三の山の御正体をたてまつるとてよみ侍りける/源有長朝臣
かずかずに身にそふかげと てらしみよ みがく鏡にうつすこころを
(訳) 照らして見よ。磨く鏡に映す心を。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『風雅集』から見つけられた熊野関連の歌は以上の4首。もしかしたら見落としがあるのかもしれませんので、もし他にありましたらご教示ください。
(てつ)
2006.3.13 UP
2020.2.21 更新
参考文献
- 校注・訳 井上宗雄『新編 日本古典文学全集49・中世和歌集 (新編日本古典文学全集)』小学館