楽聖と謳われた宮城道雄の遺作
白浜、平草原(へいそうげん)にある紀州博物館の前に、ひとつの銅像とひとつの詩碑が立っています。
お正月の定番曲「春の海」でおなじみの作曲家・箏曲家で、楽聖と謳われた宮城道雄(みやぎみちお、1894~1956)の銅像であり、宮城道雄の遺作となった歌曲「浜木綿(はまゆう)」の詩碑です。
温泉の匂ひほのぼのと
もとおりきたる鉛山の
これの小径いくめぐり
今平草原にわれはたたずむ
かぐわしき黒潮のいぶき
妙なる浜木綿の花のかおり
うずいして一握の砂を掌に掬べば
思いはかの千畳敷三段壁
はては水や空なる微茫の彼方につらなる
ああ常春のうるわしき楽土よ
時に虚空にあって聡に鳶の笛澄む
朝もよし木の国の白良浜やこれ
紀州の名士・実業家の小竹林二氏と親交があり、たびたび白浜を訪れた宮城道雄は、「浜木綿」と題した白浜をうたう詩を作り、この詩に自ら曲をつけました。
8歳で失明した宮城道雄。匂いや音や触感や体全体で感じ取った白浜が歌われています。宮城道雄が詩を作った曲はこの「浜木綿」が唯一で、宮城道雄がとても白浜を気に入っていたことが伝わります。
この歌曲が初めて披露されたのが昭和31年(1956)6月4日、白良浜ホールでの「宮城道雄先生詩碑除幕祝賀記念演奏会」。この演奏会に先立ち、平草原で詩碑の除幕式が行なわれました。
この白浜での公演の20日後の6月25日未明、公演のため大阪へ向かう途中、東海道線刈谷駅付近で急行「銀河」から転落し、その日の午前7時15分、刈谷の病院で死去しました。享年62歳。
白浜を歌う「浜木綿」が遺作となり、白良浜ホールでの演奏が最後の公演となった宮城道雄。
宮城道雄没後15年の平成5年9月、詩碑のそばに宮城道雄の銅像が建てられました。
(てつ)
2007.9.18 UP
2020.2.17 更新
参考文献