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長意吉麻呂

長意吉麻呂の熊野関連の歌

 長意吉麻呂(ながのおきまろ。奥麻呂・意寸麻呂とも)は、柿本人麻呂・高市黒人(たけちのくろひと)とともに、『万葉集』の第二期を代表する宮廷歌人で、持統・文武両朝に宮廷歌を残しています。
 正史に記載がなく、生没年も系譜も官歴も不明ですが、長氏は、おもに渡来系の人に与えられた「忌寸(いみき)」という姓(かばね)であることから、渡来系氏族であろうと考えられています。

『万葉集』より2首

1. 和歌山県新宮市の三輪崎および佐野だとする説がある「三輪の崎狭野」の歌

   長忌寸意吉麻呂が歌一首

苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに

(巻第三 雑歌 265・新267)

(訳)困ったことに降ってくる雨だ。三輪の崎狭野の渡し場には、雨をしのげる家もないのに。
この歌を本歌として、のちに藤原定家が「駒とめて袖うちはらふかげもなしさののわたりの雪の夕暮」(『新古今集』巻第六671)という歌を詠んでいる。

2. 和歌山県白浜町の綱不知湾に面した海岸だとする説がある「風莫(かざなし)の浜」の歌

風莫の浜の白波いたづらにここに寄せ来る見る人なしに 一には「ここに寄せ来も」といふ

   右の一首は、山上臣憶良が類聚歌林には「長忌寸意吉麻呂、詔に応へてこの歌を作る」といふ。 

(巻第九 雑歌 1673・新1677)

(訳)風がないという風莫の浜の白波がむなしくここに寄せて来ることだ。見る人もいないのに。
山上憶良(やまのうえのおくら)の『類聚歌林(るいじゅうかりん。憶良が編んだ歌集。現存しない)』に長忌寸意吉麻呂作とある。風莫の浜を和歌山県海南市黒江海岸とする説もある。

(てつ)

2003.3.18 UP
2020.5.16 更新

参考文献