漂着した霊木で造営、熊野権現を勧請
境内に設置されている由緒によると
祭神は 伊弉冊命、速玉男神、事解男命神、大国主命、崇徳天皇(第75代) です。
境内にある由緒書によると
創建は、第79代六条天皇の仁安二年(1167年)、大浜郷に大木が漂着し、毎夜、光を放っていた。
驚いた村民は、保元の乱に上皇方に味方し敗れて閉居していた長田千代臼正に相談し、大木を引き上げた。
最も大きな大木に「太一」の文字が記されてあり、中から熊野権現と書かれていた宝剣が出、臼正は、これを霊木であると思い、神子に伺ったところ「この材木で社壇を造営し、熊野三社大権現を勧請すべし」との託宣があり、
臼正は古老や村里の人と心を合わせ、お宮を造営し、宝剣をご神体として熊野大権現を祀って氏神と仰いだ。
時に仁安三年9月7日であった。
中世以降、公家や武家の崇敬を受け、江戸時代には36石6斗の朱印地を寄せられた。
この神社は、知多半島と三河南部を連絡する幹線道に案内があり以前から気になっていました。
今回、碧南市大浜上町の熊野神社(通称:上の宮熊野神社)の参詣記で報告しました「てらまちウォーキング」を見学に行き、市のレンターサイクルを借り、北にある「上の宮」から南に約3キロを南進し、参拝することができました。
地元の方の話では、京との結びつきが強く、人的交流があるようです。
(河合さん)
No.808
2007.12.1 UP
2020.8.12 更新