もと熊野社
私が関心を持ち、現地調査している鎌倉街道探索の途中に見つけました。
今回は、岡崎市を縦断している矢作川の西まで来ました。
参考にしている「平安鎌倉古道」(尾藤卓男著)では、「熊野社」と紹介されていましたが、地図では「白鳥神社」とあるのみでした。このため現地に着くまで不安でした。
この二つの神社名の原因は、「白鳥神社熊野森」という石柱と、由緒が書かれた隣にある社碑を読んで納得です。
社碑によると、
・大正14年4月 御祭神伊弉那美命の熊野社に御祭神大和武尊の白鳥社が合併され、
白鳥社と改称された。
・昭和21年2月 御祭神木祖神配祀市杵島比賣命の桑子神社が合併されたとありました。
大和武尊と白鳥の関係はご存知のとおり、逝去され白鳥になって飛び去ったという伝説は有名ですね。当地は、東征の途中の駐軍地であったそうです。
桑子神社(犬頭神社)は養蚕の神様であり、当地がかって堤防のない時代の矢作川の流域の一部であり、自然堤防に囲まれた集落と堤防を利用した養蚕が盛んであり、朝廷に物納されたそうです。
なお、この犬頭神社については、私も始めて見聞しましたが、珍しい神社名です。またイメージも掴みにくいです。 インターネットで検索したところ、矢作川の東側に「糟目犬頭神社」(かすめけんとう)があり、「み熊野ねっと」とリンクされている「玄松子の記憶」において詳しく説明されておりますのでご参照ください。昔の洪水で、神様が行き来された歴史から双方にあるみたいです。
拝殿。扁額は「白鳥神社」です。
唯一の境内社。説明がないため御祭神は不明です。
(河合さん)
No.682
2007.3.27 UP
2020.6.14 更新