永延元年(987)に熊野三所権現を合祭
御祭神 彦火火出見尊、伊邪諾尊 伊邪册尊 素戔嗚命 犬頭霊神
「延喜式内社」で社伝に大宝元辛丑年(701)9月の創建という。
永延元丁亥年(987)6月15日、
熊野三所権現を合祭する。
旧社は隣村上和田村西糟目の森寄にあり、矢作川洪水ありて今の社地に遷座する。
文和元壬辰年(1354)5月、上和田城主宇都宮左近将監泰藤、鷹狩せんと社殿の西南の大杉の下で昼寝す。
樹上の巨蛇今にも泰藤を呑んとする。
白犬しきりに吠えるしらず再三吠えるにうるさしとて犬頭を断つ。
その犬頭大蛇の喉をかみ殺す。
泰藤これを見、驚き神助なりと犬頭天神として合祭する。
首塚、南朝の忠臣上和田城主宇都宮藤(大久保氏の祖)が足利尊氏により京都で晒されていた新田義貞の首を奪い返し、首塚に埋め、発覚を恐れ犬物語を流布したと伝えられる。
(愛知県神社名鑑より)
糟目犬頭神社については、鎌倉街道探索の過程で平成19年(2007)、岡崎市大和町の白鳥神社熊野森を当参拝記にご報告した段階で知りました。
ここの神社は珍しい社名のため興味を持ちつつも鎌倉街道から離れた位置にあるため、その後の平成19年の夏に参拝(写真を日付入りで撮影)しましたが、文化財の説明文のみで熊野三社が祀られていることを知らないままでいました。
今回、愛知県内の熊野三社全てを参拝することとし、インターネットで調べた段階で「玄松子の記憶」から祀られていることを知り、時間と道のりを少し遠周りしての参拝となりました。
市道から第一の鳥居を望む。参道は両脇に三河黒松が植えられています。
第二鳥居と神門です。当社の越前鯖江産の凝灰岩の狛犬や鳥居が市の文化財指定を受けているが、この第二鳥居と思われる。
三河三奉行の一人である本田作左衛門生誕地の碑。
(河合さん)
No.1085
2009.10.1 UP
2020.8.12 更新