東福寺住職により勧請された熊野神社
当社は、窯業の町、瀬戸市の西部にあります。
窯業都市である故、近世に山林の木々が登り窯の燃料として伐採され、木が少ない都市であります。
カーナビを利用して付近まで到達できたが、丘陵地帯であり近づけず、Uターンして旧道を探しての再挑戦となりました。
神社周辺は小さな里山であり、不安なため住民に尋ねながら無事参拝できました。
御祭神
伊邪諾尊 速玉男尊 事解男尊
御由緒
<境内の熊野社縁起碑の引用>
勧請の年月は詳かならず、熊野本宮が天台密教の修験道の中心であった関係上、天平13年(741)創建と伝えられる東福寺住職により守護神として熊野本宮の祭神の御分霊を勧請祭祀し、神仏習合の形で以来明治維新に至るまで東福寺法印の管理下にあり菱野の氏神として祭祀が厳守されてきたが、明治新政府の神仏分離により東福寺の管理を離れ山口八幡社の宮司の管理下に移り、現在に至る。現存する旧社伝の棟札銘は永正14年(1517)である。
一の鳥居と二の鳥居の間の参道です。午後4時過ぎですが、雷雨注意報がでておる曇り空と周囲の木々で防犯灯が点灯しています。感度を落として撮影しています。
熊野社の扁額がある拝殿です。
今回提出しませんでしたが、横から見ると拝殿、本殿は3棟構成の立派なお社でした。
境内の木に掛けられた巣箱です。
一の鳥居の左後にも植樹記念の円柱が建立されています。再生された鎮守の森のようです。
駐車場に戻ると隣接の保育園の先生に出会い、植樹記念碑について尋ねると知らないが近所に住む詳しい方を紹介しましょうと親切な言葉をいただきましたが、予定した熊野社参拝の半ばなため辞退しました。なお、遠方からの参拝もあるとの話でした。
(河合さん)
No.988
2009.6.26 UP
2022.3.26 更新